1990年、ストーンズ初来日の年にオレは...

ストーンズの初来日、本当は1973年(昭和48年)に実現するはずだったが、
メンバーの麻薬問題がネックとなり外務省が入国拒否、結局ビザが下りず幻と終わった。

それから13年後の1990年2月14日のバレンタインデーに待望の初来日が実現した

オレもストーンズファンだったのでぜひ東京ドームに行きたいとは思っていたが、
チケット代10000円、往復旅費約10000円、記念グッズ代約10000円、
現地での宴会&宿泊代約15000円、その他約5000円、
計50000円を捻出するのはさすがに至難の業だったために残念。

結局、異例の地上派テレビの特別番組として放送された
ローリング・ストーンズ・スティール・ホイールズ・ツアー」をテレビで見ることとなった。

このストーンズ初来日公演となった1990年2月14日という日は、
オレにとってもメモリアルな日であった。

当時、アマチュアミュージシャン事情はと言うと、
バンドブームの絶頂の頃で、逆を言えばフォーク系のピン芸人には不遇の時代。
(ちなみにバンドブームの火付け役となった「いかすバンド天国」は1989年に放送開始)

この頃オレは、静岡市の2~3軒のPA屋の手伝いに励んでいた(土・日だけのバイト)

1990年2月14日、この日も静岡市内のとある会場でアマチュアバンドライブが開催されていた。
しかし、本番一週間前に出演バンド一組がドタキャンとなり、プログラムに穴ができてしまった。
そこでライブ主催者のS氏(通称:鬼畜さん)からこう言われた。

「穴埋めのバンドが見つからないんで~、しのさんピンでやらない?」

そう言われオレはかなり迷った。

当時(26歳)のオレは、バンド(アーバン・ギア)に参加したかしないかくらいかの頃で、
ほとんどアコースティックギター弾き語りなど練習していなかった。
つーか、アマチュアバンドのライブイベントで弾き語りなどやるヤツはいなかった。
(とてもそんな需要があるようなアマチュアライブ事情ではなかった)

というワケで、練習不足に加えて、
いまどきライブで弾き語りなんぞやっても観客に引かれるだけじゃーねーの?
と危惧していたのだが...
一方では、ピンでライブ出演できる機会など、この先ないかも知れない、と考え、
結局、幕間として20分ほど出演させていただくこととなった。

そしてこれが、オレにとって生涯初のギター弾き語りライブデビューとなった。
それがストーンズの初来日公演と同じ日(同じ時間帯?)だったと言うのはなかなかメモリアル。

かくして、ハードロックバンドのオンパレードとなったライブで、
たった一組(一人)の引き語りステージを繰り広げたオレの演目は、

1.抱きしめたい/はっぴいえんど

2.むなしき愛/ローリング・ストーンズ

3.乱れ髪/大瀧詠一

4.サティスファクション/ローリング・ストーンズ


というラインナップだった。


歌っているときは緊張して歌詞が飛んでしまったりもしたが、
意外にもお客さんからはそれなりのリアクションをいただき、ホッとしたものだ。

それよりも何よりも、
同ライブの出演バンドが観客席からヤンヤの声援を送ってくれたことがうれしかった。

当時のアマチュアバンドライブでは、
自分たちの出演が終わっても最後までイベントを見届けることが常識、
つーか、せっかくたくさんのバンドが見えるのだから最後まで観ないともったいない、
という風潮だったが、最近はどーも、
「オレたちのライブは聴け、でも他のハンドのライブを聴くのは面倒い。」
という雰囲気が少なくないように見える。

ま、その話題は別の機会に譲るとして、
かくして「もう二度とないかも知れない」と思って臨んだオレの初ステージは終わった。

あの頃に比べると、現在のアコースティック系ミュージシャン台頭の時代が来るとは想像できなかった。

なので、最近オンガクを始めたワカモノは、
少ないキャリアでもすぐに発表できる場があって恵まれてるなー、と思いつつも、
ほんの少し疑問を捨てきれない40代のオレであったとさ。




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   5月12日(金)のやまぼうしライブにあやあねさん初登場!

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