名曲「ステイン・アライブ」の秘密
20年余にわたって愛読している雑誌「サウンド&レコーディングマガジン(通称サンレコ)」が、
今月発売の2006年4月号をもって創刊300号を迎えた。
300号記念号らしく、なかなかメモリアルな特集記事を楽しく読ませてもらっている。
そんな中でもオレ的インパクト大の記事が本日ブログのお題である「ステイン・アライブ」に関する逸話だった。
「ステイン・アライブ」は、70年代後半に世界的なディスコブームを巻き起こした原点とも言える大ヒット曲で、
たしか、この「ステイン・アライブ」が収録されたアルバム「サタデー・ナイト・フィーバー」は、
当時のギネスブックに「世界一売れたレコード」として記録されていたはず。
(後にマイケル・ジャクソンの「スリラー」に抜かれたと記憶している)
前述のとおり「ステイン・アライブ」はディスコブームの火付け役として音楽史に名を残しているワケだが、
作曲者でありパフォーマーであるビー・ジーズ本人は、
自分たちがディスコミュージックにカテゴライズされることに遺憾を示しており、
できることなら「なかったことにしたい」とインタビューに答えているそうな。
たしかに、ビー・ジーズと言えばそのハーモニーの美しさと難解な曲作り(特にコード進行がヘンタイ)が特徴で、
70年代中期頃から積極的にブラックミュージック(ソウル・ファンク)の
グルーヴやブレイクパターンなどを取り入れてはいるが、原点はあくまで「ポピュラー・ミュージック」のはず。
そんな彼らが、自分たちの「引き出しの一つ」としてリリースした曲が、
世界的超ビッグヒットになってしまったことは由々しき事態だったのであろう。
喩えるなら、民謡歌手の金沢明子がたまたまリリースしたコミックソング
「イエロー・サブマリン音頭」が大ヒットとなり、
以後、民謡歌手としてではなくコミック歌手として各地からブッキングされるようになった、
というノリと類似しているかも。
さて、イントロが長くなりすぎたが、肝心の「ステイン・アライブ」の秘密に入ろう。
この曲の特徴として次の2点が挙げられると思う。
1 単純なコード進行なのにゴージャスなコーラスワークが聴かれる点(バリーのファルセットも秀逸!)
2 ディスコビートを決定づけたキック4分打ちとクローズとオープンのハイハットワーク
「1」については、ビー・ジーズのお家芸たるギブ3兄弟の最強コーラスで、
これ以上何を求める、という素晴らしさだと感じる。
これについては聴こえるまんまのとおりで、特に秘密と言うものはなさそう。
問題は「2」のディスコ・ビート!
何とこのステイン・アライブのドラムは、ブレイク・ビーツだったのだ!
ブレイク・ビーツとは、レコードやCD等から任意のドラムパート(1~2小節程度)をサンプリングして、
まったく別の曲を作るための音ネタとして流用すること。
しかし、ステイン・アライブがレコーディングされた1976年は、
サンプラーはおろか、PCMドラムマシンも製品化されていない時代。
そんな時代に何故ブレイクビーツの手法を取る必要があったのか?
真相はこうらしい。
ステイン・アライブのレコーディングセッション中に、
ドラマーのデニス・バイロンが家庭の事情により途中リタイア。
ドラマーがいなくなった穴を埋めるため、代替ドラマーを探すも間に合わず、
レコーディング技術で補うことになる。
ハモンド内蔵のリズムボックスをレコーディングするなどの試行錯誤を行うも上手くいかず。
結局、すでにレコーディングしてあった「恋のナイト・フィーバー」のドラムパートから、
正確無比なビートを刻んでいる2小節を選び出し、2トラマスターテープにダビング。
その2トラマスターテープのスタートとエンドをつないでエンドレステープを作成。
6m10cmにわたるエンドレステープを再生させるための周辺機材を手作りで製造。
ステイン・アライブのドラムパートにエンドレステープによるブレイク・ビーツをダビング。
ようやくレコーディングに復帰したドラマーがハイハットとフィルインをオーバーダブ。
という手順を踏んで、恐らく世界で初めての手作りブレイク・ビーツが完成されたとのこと。
ちなみに、ステイン・アライブのドラマーとしてクレジットされている
「バーナード・ルップ」という人物は架空のドラマー。
にもかかわらず、各方面から
「あの正確無比なビートを刻むドラマーを紹介して欲しい」という問合せが殺到したそうな。
オレ的には、自分の音楽、
特にグルーヴ面において最大級の影響を受けている「ステイン・アライブ」のドラムが、
よもやブレイク・ビーツだったとは、想像さえしなかった驚愕の事実!
最近曲作りはやっていないが、以前は何かというと、
キック4分打ちに、ツ・チー・ドン・ツ・ツー・ドンというハットとスネアの組み合わせで
ドラムパターンを作ったものだ
テンポ100くらいでこのビートを刻み(ハットのゲートタイムは極力短く)、
そこにクリーンギターのカッティングとワンノートのリフを絡ませ、
さらに半音進行を組み入れたブイブイベースを絡ませた日にゃあ、
もう気分はジョン・トラボルタ状態間違いなしっ!
不思議なことに、このビートは正真正銘の8ビートなのだが、
ギターのカッティング、ベースのミュートタイミングなどにより、
縦ノリ(スクエア=16ビート)にも横ノリ(トリプレット=ハネた16)にもその中間にも聴こえてしまう、
ヒジョーにお得なドラムパターンなのである。
(もちろんギタリスト、ベーシストの手腕によるところが大きいが。)
ってなワケで、オレ的にはステイン・アライブ初体験から
29年後にして初めて知った衝撃の秘密だったのだったんだ。
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5月12日(金)のやまぼうしライブにあやあねさん初登場!
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▼ Recording Studio GARAGE MIHO(本館)はこちら
http://www.geocities.jp/garage_miho
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今月発売の2006年4月号をもって創刊300号を迎えた。
300号記念号らしく、なかなかメモリアルな特集記事を楽しく読ませてもらっている。
そんな中でもオレ的インパクト大の記事が本日ブログのお題である「ステイン・アライブ」に関する逸話だった。
「ステイン・アライブ」は、70年代後半に世界的なディスコブームを巻き起こした原点とも言える大ヒット曲で、
たしか、この「ステイン・アライブ」が収録されたアルバム「サタデー・ナイト・フィーバー」は、
当時のギネスブックに「世界一売れたレコード」として記録されていたはず。
(後にマイケル・ジャクソンの「スリラー」に抜かれたと記憶している)
前述のとおり「ステイン・アライブ」はディスコブームの火付け役として音楽史に名を残しているワケだが、
作曲者でありパフォーマーであるビー・ジーズ本人は、
自分たちがディスコミュージックにカテゴライズされることに遺憾を示しており、
できることなら「なかったことにしたい」とインタビューに答えているそうな。
たしかに、ビー・ジーズと言えばそのハーモニーの美しさと難解な曲作り(特にコード進行がヘンタイ)が特徴で、
70年代中期頃から積極的にブラックミュージック(ソウル・ファンク)の
グルーヴやブレイクパターンなどを取り入れてはいるが、原点はあくまで「ポピュラー・ミュージック」のはず。
そんな彼らが、自分たちの「引き出しの一つ」としてリリースした曲が、
世界的超ビッグヒットになってしまったことは由々しき事態だったのであろう。
喩えるなら、民謡歌手の金沢明子がたまたまリリースしたコミックソング
「イエロー・サブマリン音頭」が大ヒットとなり、
以後、民謡歌手としてではなくコミック歌手として各地からブッキングされるようになった、
というノリと類似しているかも。
さて、イントロが長くなりすぎたが、肝心の「ステイン・アライブ」の秘密に入ろう。
この曲の特徴として次の2点が挙げられると思う。
1 単純なコード進行なのにゴージャスなコーラスワークが聴かれる点(バリーのファルセットも秀逸!)
2 ディスコビートを決定づけたキック4分打ちとクローズとオープンのハイハットワーク
「1」については、ビー・ジーズのお家芸たるギブ3兄弟の最強コーラスで、
これ以上何を求める、という素晴らしさだと感じる。
これについては聴こえるまんまのとおりで、特に秘密と言うものはなさそう。
問題は「2」のディスコ・ビート!
何とこのステイン・アライブのドラムは、ブレイク・ビーツだったのだ!
ブレイク・ビーツとは、レコードやCD等から任意のドラムパート(1~2小節程度)をサンプリングして、
まったく別の曲を作るための音ネタとして流用すること。
しかし、ステイン・アライブがレコーディングされた1976年は、
サンプラーはおろか、PCMドラムマシンも製品化されていない時代。
そんな時代に何故ブレイクビーツの手法を取る必要があったのか?
真相はこうらしい。
ステイン・アライブのレコーディングセッション中に、
ドラマーのデニス・バイロンが家庭の事情により途中リタイア。
ドラマーがいなくなった穴を埋めるため、代替ドラマーを探すも間に合わず、
レコーディング技術で補うことになる。
ハモンド内蔵のリズムボックスをレコーディングするなどの試行錯誤を行うも上手くいかず。
結局、すでにレコーディングしてあった「恋のナイト・フィーバー」のドラムパートから、
正確無比なビートを刻んでいる2小節を選び出し、2トラマスターテープにダビング。
その2トラマスターテープのスタートとエンドをつないでエンドレステープを作成。
6m10cmにわたるエンドレステープを再生させるための周辺機材を手作りで製造。
ステイン・アライブのドラムパートにエンドレステープによるブレイク・ビーツをダビング。
ようやくレコーディングに復帰したドラマーがハイハットとフィルインをオーバーダブ。
という手順を踏んで、恐らく世界で初めての手作りブレイク・ビーツが完成されたとのこと。
ちなみに、ステイン・アライブのドラマーとしてクレジットされている
「バーナード・ルップ」という人物は架空のドラマー。
にもかかわらず、各方面から
「あの正確無比なビートを刻むドラマーを紹介して欲しい」という問合せが殺到したそうな。
オレ的には、自分の音楽、
特にグルーヴ面において最大級の影響を受けている「ステイン・アライブ」のドラムが、
よもやブレイク・ビーツだったとは、想像さえしなかった驚愕の事実!
最近曲作りはやっていないが、以前は何かというと、
キック4分打ちに、ツ・チー・ドン・ツ・ツー・ドンというハットとスネアの組み合わせで
ドラムパターンを作ったものだ
テンポ100くらいでこのビートを刻み(ハットのゲートタイムは極力短く)、
そこにクリーンギターのカッティングとワンノートのリフを絡ませ、
さらに半音進行を組み入れたブイブイベースを絡ませた日にゃあ、
もう気分はジョン・トラボルタ状態間違いなしっ!
不思議なことに、このビートは正真正銘の8ビートなのだが、
ギターのカッティング、ベースのミュートタイミングなどにより、
縦ノリ(スクエア=16ビート)にも横ノリ(トリプレット=ハネた16)にもその中間にも聴こえてしまう、
ヒジョーにお得なドラムパターンなのである。
(もちろんギタリスト、ベーシストの手腕によるところが大きいが。)
ってなワケで、オレ的にはステイン・アライブ初体験から
29年後にして初めて知った衝撃の秘密だったのだったんだ。
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5月12日(金)のやまぼうしライブにあやあねさん初登場!
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