昭和歌謡の影の立役者・田中清司

田中清司」と言うスタジオミュージシャンをご存知か?
かく言うオレもそれほど詳しいわけではないが、
オレが好きなレコードのライナーノーツでよくその名を見かけていたので興味津々だったが、
昔は情報源がまったくと言うほどなくリサーチ(?)作業は頓挫していた。

ところで、田中清司って何をする人?と言いますと、
このシト、60年代後期から活躍していたスタジオドラマーです。

初めてオレがその名を目にしたのは、吉田拓郎の名盤「ライブ73」のバンドメンバークレジット。
その溢れんばかりのグルーヴ感は、
当時中学生でまだまだオンガクに拙いオレにも強烈に脳裏に焼き付けられた。
特にA面3曲目の「君去りし後」の間奏で聴かれるベース&ドラムソロパートは
今、聴き直してみても凄まじいほどの力強さに満ち溢れている。
(ちなみにベースは岡沢章。後で判明したが岡沢+田中のコンビで相当数の仕事をこなしているらしい。)

その後、渡辺真知子を聴きだすようになると、そこにまた「田中清司」の名が!
彼女のアルバムでは、ライブ73の力強さとはまた違った、
とても気持ち良いダンスグルーヴを刻んでいた。

さらに、前々から「このドラム、ディスコっぽくてすげーカッコいい!」と思っていた
岩崎宏美の初期作品群、全盛期の沢田研二(「勝手にしやがれ」の頃)の作品群も
田中清司が叩いていたことが、最近判明した(インターネット恐るべし!)

さらにさらに調べてみると、田中氏は初代ジャニーズの弟分「ジャニーズJR」のメンバー(ドラマー)として芸能界入りし、解散後はスタジオミュージシャンとして、特に筒美京平作品に数多く参加していたことがわかった。

また、井上尭之バンドの2代目ドラマーでもあり、
数々のテレビ関連作品(太陽にほえろ!等・注)の仕事をこなしていたとのこと。
もちろん、全盛期の沢田研二のバックも務めていたことになる。
(注:あの有名なテレビトラックのドラムが田中氏の演奏かどうかは諸説ありハッキリしない)

70年代後期までは、ニューミュージック系のアルバムにちらほらその名を見かけたが、
80年代以降は、村上ポンタ、林立夫、上原ユカリ、島村英二渡嘉敷祐一青山純
等のスタジオミュージシャンが台頭したためか、彼らの影に隠れていき、
90年代に入ると、田中氏のクレジットはほとんど見られなくなった。
現在は大野克夫バンドの一員として地味に(?)活躍している。

で、なぜ田中氏のドラムがそんなに印象に残っているかと言うと、
ひと言で言えばダンサブル!
特に70年代後期から筒美京平が積極的に取り組んでいた、
当時としては最先端のディスコビートを見事に再現していた。
オレ的には、とにかくスネアとハットのコンビネーションが気持ちよく、
中でも岩崎宏美のデビュー3部作は前述の岡沢章との強力リズム隊で、
素晴らしいJ-POPならぬ、J-DISCOを聞かせてくれる。
おおっと、沢田研二「憎みきれないろくでなし」も必聴曲ですぞ。

と言うように、昭和歌謡の影の立役者といえる田中氏であるが、何故か世間の知名度は著しく低い!
少なくともオレの回りのアマチュアドラマーに聞いても誰も知らない。
ぜひぜひこのブログを見て興味を持った方は、
廉価版CDで昭和歌謡曲のレアグルーヴを検証してみてはいかがか。

なお、今回、インターネット検索していたら、
やっぱりいました。田中清司の熱狂的フォロワーが!
おヒマだったらのぞいてみそ。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/month?id=49380&pg=200401