スーパーフライ
2017年1月15日、日本でも活躍した元プロレスラー、
スーパーフライ・ジミー・スヌーカ 氏が亡くなりました。 享年73。
日本では、何といっても 超獣 ブルーザー・ブロディ とのタッグが有名ですが、
プライムタイムだったと言われています。
日本での活躍のきっかけとなったのは、1978年頃にゴング誌が発刊した
当時のアメリカマット界事情を特集した増刊号ではなかったかと思います。
ジム・クロケット・プロモーション が主宰する
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング の紹介記事の中で、
高齢女性 (だったと思う) のプロレスファンの声が掲載されていました。
「なんといっても今は リッキー・スティムボート が最高よ!
ジミー・スヌーカ との抗争はいつ見てもエキサイトするわ~!」
・・・というような内容だったと記憶しております。
当時、高校生だったオイラは、プロレス名鑑のようなモノを通じて、
「ジミー・スヌーカ」 の名前くらいは知っていましたが、
「リッキー・スティムボート」 の名が日本のプロレスファンに伝聞されたのは、
恐らくこれがイチバン最初だったと思われます。
当時の日本のプロレスファンにはまったく無名の存在だった リッキー ですが、
その遺恨の相手として、ジミー・スヌーカ にも脚光が当たっていった、
・・・という流れだったはず。
そして1981年、ついにその試合が全日本プロレスに直輸入されました。
2017年の今、見直してみると決して悪い内容ではないと思いますが、
ハッキリ言って、期待値が高すぎて肩透かしを食った、
というのが当時の偽らざる感想です。
その後、スヌーカ は超獣のタッグパートナーに抜擢され、
日本でもメインエベンターの地位に到達するワケですが、
恐らくリッキーとの抗争アングルだけでは、日本での地位向上はかなわなかったでしょう。
さて、ブロディ&スヌーカ の試合といえば、
vs ザ・ファンクス 戦 があまりにも有名です。
しかし、この試合のトピックはあくまでも 「スタン・ハンセンの乱入」 であり、
この試合を 日本におけるスヌーカの名勝負 と呼ぶことには違和感を覚えます。
オイラ的には、翌1982年に行われた 馬場・鶴田 とのインタータッグ戦の方が、
見応えのある試合内容だったと思っています。
この試合の2本目 (なんと3本勝負!) のフィニッシュで、
スヌーカ のスーパーフライに対抗して鶴田が繰り出した ミサイルキック の破壊力、
そして、スヌーカ の見事なまでのやられっぷりが実にお見事ですっ。
2017年の今日では、コーナーポストから横側のコーナーポストまで飛ぶ
ミサイルキックは珍しくありませんが、1982年の時点で、
コーナーポストから対角線上の遠い位置に立つ相手めがけてミサイルキックを放つ、
というのはかなり衝撃的なシーンでありました。
うーぬ、結局、目立ったのは スヌーカ ではなく 鶴田 だったワケですが(汗)、
ミサイルキックを出す必然性を作ったのは、あくまで、スヌーカ の スーパーフライ だった
というオチ。
スヌーカ が第一線から退いた後も、外道 や 棚橋弘至 によって、
「スーパーフライ」 というクラシカルなプロレス必殺技は、
2017年の今日も 「現役の必殺技」 として伝承され続けています。
スーパーフライのオリジネイターに合掌。
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▼ 2月定例やまぼうしライブ
日時 : 2月10日(金) 19時30分~21時00分
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2014年1月10日のやまぼうしライブ PAL × Tacaco
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