自ら 「スーパースター」 を名乗るマッチョマン
せっかくマッチョマンレスラーの記事が続いたので、調子に乗ってもういっちょ。
典型的なマッチョボディ、派手なコスチューム、嫌味で胡散臭くて、喋りが達者なレスラー、
の元祖といえばこの人をおいて他にはいない!
1970年代にNYを中心に活躍していた、“鉄腕” スーパースター・ビリー・グラハム。
こちらは恐らく1975年10月、マジソン・スクエア・ガーデンにおけるWWF定期戦において、
王者 “人間発電所” ブルーノ・サンマルチノ に初挑戦した試合と思われ。
それ以前も、サンマルチノへの挑戦者といえば 「悪役巨漢系怪力レスラー」 が定番でしたが、
デブで、ブ男で、ファッションセンスの欠片もないダサいイデタチだったのに対し、
このグラハムは、ボディビル系、気障でお洒落なコスチューム、さらに喋りが上手い、
という点が画期的で、その後の同類レスラーのテンプレートとなったワケです。
あの ハルク・ホーガン も自分のスタイルはグラハムを参考にしたと述べております。
※ まったく関係ありませんが、ブルーノ・マーズ の 「ブルーノ」 は、幼いころ、
上記の ブルーノ・サンマルチノ に顔が似ていることから名付けられた仇名なんだそーです。
この頃、日本のプロレスファンはプロレス雑誌に掲載されるグラハムの写真を見ては、
そのカッコ良さに惹かれ、いつかは 「動くグラハムを見てみたい!」 と夢想しておりますた。
実は1974年に国際プロレスに初来日していますが、当時の国際は全国テレビ中継されておらず、
少なくとも静岡在住のオイラはその雄姿をテレビで見ることは叶いませんでした。
プロレス雑誌でニューヨークでの活躍が報じられ始めた1975年から約1年後、
ついにグラハムは全国区テレビ放送の新日本プロレスに初登場っ!
しかし、英語によるアジテーションが通じない日本では本領発揮とならず、
新日本プロレス参戦後は一時的にWWFから離れるも、再びWWFに復帰し、
1977年には、ついにサンマルチノを破り、約2年間、悪党王者に君臨します。
その悪党王者を退治するために、全米から招聘されるベビーフェイスの正統派人気レスラーに
ことごとく痛めつけられピンチに陥るも、最後は反則裁定となり、辛くも王座防衛、というのが定番となります。
▼ ミル・マスカラス戦
試合内容はともかく (おい!)、マッチョでカッコいい二人が対峙するだけで実に 「絵」 になります。
▼ ダスティ・ローデス戦
▼ この1978年の ボブ・バックランド 戦において2年間に亘る政権から王座陥落
うろ覚えなので真偽のほどは定かでありませんが、グラハムがWWF王者だった頃、
二の腕の太さにおいては、グラハム、アーノルド・シュワルツェネッガー、ルー・フェリグノ、
の3名が世界のトップ3だったとか・・・(不確実な情報だなあ)
とまあ、そんなワケで、世界中のマッチョ系プロレスラーの元祖となったのが、
本日ご紹介の スーパースター・ビリー・グラハム でありまして、
その系譜は2015年の今日においても引き継がれている、という事実がゴイスすぎます。
現在のグラハム氏は、現役時代に摂取していたアナボリック・ステロイドの悪影響により、
かなり体調を崩されている様子ですが、存命であり、
過剰摂取による薬物禍に警鐘を唱えるスピーカーとして活躍されているとのこと。
がんばれ! 鉄腕!
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▼ 11月定例やまぼうしライブ
日時 : 11月13日(金) 19時30分~21時00分
▼ 関連リンク
2014年1月10日のやまぼうしライブ PAL × Tacaco
トワイライト・ヴュー (2000年に宅録したオリジナル曲です)
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