「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」とはどういう意味なのか?

先日、ヤフーニュースでこんな記事を発見。
(以下、同サイトから無断転載)

井上堯之 「健康上の理由から」 突然の引退
(1月7日9時59分配信 日刊スポーツ)

ザ・スパイダースの元メンバーで、 「太陽にほえろ!」 のテーマ曲で知られるギタリスト
井上堯之 (たかゆき=67) が6日、健康上の理由などから
引退することを所属事務所を通じて発表した。
事務所関係者によると、年明けに肺気腫と診断された。
入院や手術はしていないという。
予定されていたコンサートはすべて中止される。

井上の所属事務所 「堯之」 は、マスコミ各社に
「1月1日付で、一身上の都合および、
健康上の理由からプロミュージシャン活動を引退することになりました」
とファクスで報告した。
先月までライブやトークイベントを行っていただけに、突然の引退発表だった。

事務所によると、年明けに健康診断を受け、4日に肺気腫と診断された。
自覚症状はなく音楽活動をするのに支障はないが、今後ステージ活動が厳しくなってくる可能性は大きい。
そのため、引退を決めたという。
井上は1日30本以上吸うヘビースモーカーだった。

診断から引退発表まで数日と早かったのは、音楽活動で悩んでいたことがあったからだ。
精力的にライブを行っていたが、不完全感がぬぐいきれなかったという。
数年間悩み続けたところへ病気が見つかり、引退を後押しする形になった。
関係者は 「責任感の強い人ですから、ファンには申し訳ないと思っています。
ただ、このままやっても 『輝けないのでは』 と悩んだ結果です」 と、苦渋の選択だったと説明した。

予定されていたライブはすべて中止される。
来月25日には、東京・江東区にある、500人収容の文化センターで
井上堯之バンド コンサート2009」 を行うはずだった。
すでに200枚以上チケットが売れていたが、
ホール関係者も 「決断は固いということでしたので」 と話した。

井上は、ザ・スパイダースのギタリストとしてグループサウンズ人気を引っ張り、
太陽にほえろ!」 のテーマの演奏や 「愚か者」 などヒット曲を多数作曲するなど
音楽界の第一線で活動してきたが、今後はギタリストだけでなく、
作曲や編曲を行う予定もないという。
95年に初期の胃がん手術を受けた際は 「死ぬまでやりたい」 と早期復帰を果たした。
多くのバンドマンにあこがれられたギタリストは、納得の演奏ができなくなった今、ギターを置いた

・・・とのことです。
オイラと同世代の昭和30~40年代生まれの方にとって 井上堯之バンド と言えば、
沢田研二 と一心同体、つーか同義語と言っても差し支えないほど身近な存在に感じていたのではないか。

残念ながら井上バンドは TOKIO を最後にジュリーと決別してしまったが、
同バンドが日本の歌謡界に残した功績が消えることはない。
特に、オーケストラ演奏が基本だった70年代のテレビの歌番組において、
頑なにバンド演奏にこだわった姿勢はもっと評価されていいと思いまする。

折りしも昨年、沢田研二 が東京ドームで還暦祝いライブを成功させたばかりだと言うのに、
そのかつての盟友である井上氏が芸能界引退とは、なんとも言えぬ虚しさを覚えてしまいやす。


さて、この記事を受けて色んな方がブログ等で感想を述べているので拝見させていただいたところ、
随所に目がついたのが本日のお題であるこの言葉。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

もともとは マッカーサー元帥 が軍を退役する際の演説での一節だそうな。
▼詳細はこちらを参照あれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.BC.95.E9.80.80

この言葉、もちろん昔から知ってはいるが、
恥ずかしながらこの言葉の持つ 「本当の意味」 については理解していなかった。
いい機会だと思い、色々と検索してみたが、残念ながら 「正解」 を得ることはできなかった。

まず、マッカーサーご本人の 「オリジナル」 の意味するところについて調べてみると、

軍人として 「名誉の戦死」 を果たすことができず生きながらえてしまった老兵には、
もはや 「死に場所」 も 「居場所」 もない。
このまま過去の栄光だけにすがって形だけの軍人として生き延びるのは恥の上塗りでしかない。
かくなるうえは、このまま静かに引退するしか道はない。

というようなニュアンスに受け取られます。

つまり、老兵は死なず ではなく
「(戦場で)死ねなかった老兵には、もはや栄光を手にする方法などなく、引退する以外に選択肢はない。」
と言うのが本来の意味ではないか、とオイラは感じ取りますた。
(もちろん誤訳の恐れはかなーりありますが)

マッカーサー自身が軍人であるので、「名誉の戦死」、「死に場所」、「老兵」 と言った字句は、
まさにそのまんまの意味として捉えるのが正解であるが、
これが 「ものの喩え」 として使われている現在の日本においては、
使う人によって意味するところがずいぶん違ってきているような気がします。

一般的には、
「老兵」とは、
・定年間近、あるいは定年を迎えた者
・過去の栄光にしがみついている権力者
・全盛期を過ぎたベテラン

「消え去るのみ」とは、
・退職、引退、隠居する
・権力を若者に譲渡する
・表舞台から降りる

といった意味合いで使われていると思うのだが、
老兵は死なず「死なず」 についての見解が、オイラにはどーも理解できない。

オイラ的には、「名誉の戦死」 から湾曲して強引に辻褄合わせしてみると、
「もう一度、花を咲かせようなどと思わず」 と言ったニュアンスではないか? とも思ってしまうが、
実際にこの言葉を 「ものの喩え」 として使っている方々の理解はどのようなモノなんでしょう?

結局のところ、オイラ的 老兵は死なず、ただ消え去るのみ」 の格言的意味合いは、
「もはや現在の自分の能力が全盛期に遠く及ばないと自覚したら、
裸の王様になる前に自ら引退の道を選択すべきである。」
と言うことになるんでしょーか。


オイラは今でこそ周囲の音楽関係者からチヤホヤしていただいているが、
果たして自分の音楽能力が完全に時代遅れとなり、楽器演奏もおぼつかなくなったとき、
潔く表舞台から去る決断を下すことができるのか。

正直、自信はありましぇん。

そー言った意味では、昨日ブログったように、大瀧詠一 仙人は50代に入って間もなく、
引退ではなく 「隠居(?)」 と言う選択肢を選んだことは正解だったかもしれない。

・・・と思えてきた今日この頃でありますたとさ。




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