「週刊ゴング」の復活はあるか?

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一時休刊を発表したばかりの「週刊ゴング」だが、果たして本当に「一時休刊」なのか?

もちろんオイラをはじめ、全国のプロレスヲタクは不死鳥のようなカムバックを祈ってはいるが、
心の底では「もはや復活は絶望的」と思っていることは否めない。

つーか、報道対象である「平成のプロレス」そのものがつまんねーんだから、
いくら専門誌ががんばったところで、根本的な解決にはならないと思われ。

ちなみに日本スポーツ出版社のコメントによると、
週刊ゴングそのものの売上が悪化した事実はなく、
会社そのものの経営不振が休刊の理由であるとのこと。

これが事実なら、よくぞ今まで発行部数をキープしていたと感心してしまう。


では、どうしたら週刊ゴングは復刊できるのか?

果たして今までと同じ編集方針でホワイトナイトは現れるのか?

そこで、あくまでシロウト考えではあるが、オイラなりの復刊への道を探ってみたい。


まず、平成プロレスが凋落してしまった最大の理由は総合格闘技の台頭である。
それまで「プロレス最強」の幻想を頑なに信じていたプロレスファンに、
冷徹なまでの「現実(プロレスは最強でない)」を見せつけたのだから、ハッキリ言ってしょーがない。

普段の生活でも当てはまるが、「幻想」が「現実」になったときのショックは、
そりゃー計り知れないダメージだわな。


だから、今後、プロレスを扱う専門誌が選択する道は次の3つだと考える。

1.幻想を振り返る
  最近、「大人のロック」ってなノスタルジックな音楽誌がヒットしているらしい。
  よーするに、団塊の世代をターゲットに、昔懐かしい特集を組んで本を売ろうと言う、懐メロ路線。
  なので、同様の手法で、昭和プロレスのノスタルジー溢れる専門誌にシフトしてはどうか?
  まあ、すでに別冊ゴングなどで同様の編集はされているが、
  もっとディープに、かつマニアックに「昭和プロレス」に傾倒した誌面作りをすれば、
  力道山、BI砲時代の頃のファンは食いつくと思うが、どーよ?

2.現実を受け入れる
  WWEが、タナカ☆タダシがカミングアウトした「現実」を踏まえた本を作る。
  よーするに「紙のプロレス(現・kamipuro)」路線をなぞる、と言うこと。
  「昭和プロレス」ファンには悲しいことだと思うが、
  今後のことを考えると、もはや臭いモノにフタをしているだけでは済まされないと思うが、どーよ?

3.幻想の続きを見る
  猪木が、佐山が、前田が、船木が主張する、
  「総合でも通用するプロレスラー」の成長を追っていく。
  たしかに現在は総合に出て負けるかもしれないが、
  いつか将来、プロレスラーの誰かが総合でトップに立つ日を信じて、
  その過程を報じるような誌面作りを行う。
  かなり夢物語的とは思うが、やはり「プロレス最強論」を信じていた「かつてのファン」に、
  厳しい現実をハッキリ認識してもらうとともに、
  柴田勝頼をはじめとする、若武者たちの挑戦ドラマを綴っていく、と言う編集スタイルはどーよ?


ハッキリ言って、プロレスと総合を同時にこなすのはかなり無理があると思う。

だが、総合に挑戦するのは、別に「現(元)プロレスラー」でなくともいいのではないか?
要は、プロレスヲタクだった少年が、プロレスラーが次々と負けていく現実に悔しい思いを抱き、
その敵討ちのために総合に挑戦するストーリーを演出すれば、
それは現プロレスラーが総合に挑戦することと同義語になるのではなかろうか?

もっと具体的に言うなら、日本人版「ジョシュ・バーネット」養成過程を報道する、と言う意味だす。

幸いにも、前述の佐山、前田、船木らが「総合でも通用するレスラー養成」に取り組んでいるワケだから、
それを前面に押し出すことは有益だと思う。

残念ながら、現在テレビ中継されているような「昔ながらのプロレス」が、
20年前のように、再びブームになるようなことなどない。

総合格闘技の繁栄は時代の趨勢だから、やはりそれを無視してはいけない。


であれば、やはり「プロレスラーの総合への復讐」こそが、
もっとも単純でわかりやすいアングルではなかろうか?

現実的でないことは百も承知のうえで、
それでも挑戦し続けるレスラーの「敗者の美学」こそ、
ライターにとっては書き応えのあるテーマではないだろうか?