バブル前夜を象徴するサウンド・・・ゲートリバーブ

毎月、愛読しとります サウンド&レコーディングマガジン」

その2月号の中から面白かった記事をご紹介いたしませう。
昭和30~40年代生まれの音楽好きにはなかなか懐かしくノスタルジックな内容ではないかしらん。


戸田誠司「そこのにいさん どこ向いてんのよ」 から

第13回 ゲート・リバーブ・スネア の巻

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アイルトン・セナが野望を持ってヨーロッパに渡り、
日本中至る所で 「ルビーの指環」 が流れていて(まだ日本人のみんなが同じ歌を聴いてた)、
海の向こうアメリカではビル・ゲイツのOSが搭載されたIBM初のパーソナル・コンピューターが発売された。

ジーコ全盛、トヨタカップの始まった年に社会に出た僕は、
音楽関係のマネージメント事務所で働き始めていた。

特にマネージャーになるつもりも全くなく、とにもかくにも音楽業界に入ろうとしていたらそこにいた。

何が何だか分からないまま1カ月が過ぎたころ、アレンジャーHさんに郵便物を届けるお使いを命ぜられた。

レコーディング中のスタジオに行ってこいと。

スタジオだよ、スタジオ。 ほんとかよ、すげ一じゃん。
自分のレコーディングでもない、ただの書類を届けるという事務ですら、
“スタジオに行く"というだけで僕はバクバクだった。

(今はどうだか知らないけど)そのころはミュージシャン志望
(というか宅録上がり)の若造にとって“スタジオ"は極めて特別な場所だった。
ただの録音空聞ではなかった。

そこはずっと夢見ていたゴールであって、
その夢がサナギのように脱皮して羽ばたいていくためのスタート・ポイントでもあった。

雑誌から得た無形の知識ではなく、実際に手で触れる機材(テクノロジー)が無造作に転がっていて、
映画やドラマのような、甘美で欲とお金があふれ出す場所だったのだ。

“スタジオ"に行けるなら親兄弟だろうが恋人だろうが、一瞬の躊躇なく捨てちまえる、
天国であってサンクチュアリだった。

厚くて重いドアを開けると、そこには聴いたこともないようなハイクオリティな音があふれていた。

思わず賞賛の声が出そうだったが、理屈ばっかり達者な小生意気な宅録野郎と思われたらいやだなと、
努めて黙っていた。でもつい口に出てしまった。

「ゲート・リバーブだ」

数え切れないくらいのフェーダーが並ぶコンソール、
その支配者のように君臨する、背中がまぶしく輝いているエンジニアがこちらを振り向きながら
言った。

「ゲート・リバーブ知ってるの?」

そんな専門用語は、今より音楽を作ろということが普通なことでもなく、
どう見ても新人社員と分かるぴかぴかのスーツを着てるタイプの人間の口から出てくる言葉じゃないわけだ。

かなり不審だったろう僕の発言に、エンジニアの方は優しい口調で話しかけてくれた。

「ミキサーのTさんね」と紹介してもらった。

もしかしてあのTさん?

あのデリケートで端正な音からは想像できないような、
愛嬌のある優しそうな丸顔にほっとしながらも、差し出された手に
“握手かよ、これが業界かよ”と僕の手は震えていたはずだ。

「アマチュアでもゲート持ってる時代なんだな」

「BOSSのコンパクト・エフェクターですけど、やろうと思えばゲート・リバーブ作れます」

「リバーブは何を使っているんだ?」

「大したものが無いので、強力なのを作りたいときはシンセでノイズ作ってそれを混ぜてます」

「そりゃいいアイディアだな。プロが使うゲートはこれだ、見せてやるからこっちに来てみろ」


そこにあったのはVALLEYPEOPLEの初代Kepex。
こんなに愛らしいエフェクターを見たのは初めてだった。

さすがスタジオなのだ。

そして僕は、第一線で活躍されているエンジニアが、
趣味で音楽を作っているような、どこの馬の骨だか分からない若造に
こんなに懇切丁寧にゲート・リバーブの作り方を教授してくれていることに
泣きそうなくらいひたすら感動していた。

「やつぱ音楽ってサイコーだよ」 と、その夜、まるで天下を取った気でいる僕は、
さっそく音楽友達を呼び出して、朝まで自慢話だ。

「で、どうだったの、スタジオ?」

「音があー、でかかった」

「そうか、音がでかかったのか」

「すっごい、でかかったのよ。耳痛いもん」

「そうか、耳痛いのか」

「でもみんな平気な顔してた。すげー」

「耳、鍛えなきゃな」


その3カ月後、結局僕はマネージメント事務所を辞めてミュージシャンになることにした。
世間的には5月病で退職した失業中の若い奴なのだけれど、
本人的には立派なミュージシャンだ。

独立することをただ一人応援してくれたアレンジャーの方にあいさつを、とスタジオに向かった。
当時、ずっと自宅で仕事をしていたのは作曲家くらい。

僕は誇らしげに、多分鼻の穴を大きくして報告したはずだ。

ところが 「ふ~ん、まあがんばれよ」 と、いたって熱気のない肩すかしの返事。
「あっ」状況が分かってきた僕の顔は真っ赤だった。

むちゃくちゃ恥ずかしくなって、一礼してあたふたと退散した。

あわよくば仕事の一つでも紹介してもらおうなどといった考えはまったくもって通用するわけもなかった。

「業界、甘くねーなー」

ゲート・リバーブ・スネアの音を聴くと思い出す。

おおよそホントで少し脚色された1981年の話。

(ありがとうございました、田中信一殿)


戸田誠司

1958年、東京都生まれ。

Shi-Shonen、REAL FISH、FAIRCHILD、などのバンドを経て、

1995年からはソロとして活動。

一方ではPlaystation2「GRAN TURISMO」開発への参加など、

マルチクリエイターとしても才能を発揮。

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というワケで、ハッキリ言って今日のブログはネタ不足の苦し紛れの禁じ手内容だが、
最近、「バブルへGO!」なんてな映画も公開されてたり、
当時(ってゲートリバーブの頃はまだバブルじゃないけど)の世相がブームになりつつあるんで、
まあ、大目に見てやってつかあさい。

ちなみにオイラは、人生でただ1回だけ、
プロのレコーディングスタジオを見学した経験がありまする。

この記事を読んでたらあの時の興奮が蘇りますた。

その辺のことはまた改めてブログらせていただきませう。

よすなに。




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