「島流し」

ここのところ断片的に継続している「光市母子殺人事件」関連ブログ。
本来、このブログでは社会ネタや主義主張ネタはなるべく回避しようと思っていたが、
一連の本村氏の行動に感銘を受けたので、
同氏の主張する「国民全員で死刑について考えよう」活動に賛同し、
もう少し継続していきたいと思う。

とは言え、不平不満や批判の「言いっぱなし」は卑怯と考えるので、
田中角栄ではないが、
「文句を言うな!改善案を出せ!」
の精神に則って進めることとしよう。


オレは死刑こそが極刑とは思わない。
(おそらく多くの人もそう思っているであろう)
だが日本に「終身刑」制度ができたとしても、
死刑に相当するような極悪人が国民の税金を使って生きながらえることには納得がいかない。

実際、日本に「終身刑」を設定できない理由の要因は、
囚人の収容施設の維持経費を捻出できないことらしい。
無期懲役の囚人が早く出所できるのも同様の理由らしい。)


じゃあ「島流し」にしちまえ!と思うがどーよ?

小笠原諸島よりもはるか彼方の国境ギリギリの無人島に一人で生活してもらおう。
これなら国に維持経費の負担はないと思われ。

衣食住など与える必要はない。
自分で魚を獲り、穀物を育てて、川の水を飲み、完全自給自足で生活していただこう。
世界は自分を中心に回っていると思っていた大馬鹿野郎に、
本当に「自分だけの世界」を提供してやり、
己の無力さを認識させたらいい。

なんならもう一人くらい極悪人も同じ島に送って、
極悪人同士で協力しあいながらサバイバルしていけばいい。
もし「協力しあえたら」の話だけどね。


とにかくオレは、犯罪者に対する「更生の余地がある」との見解には異論を唱える。
将来において更生の余地があろうが、殺された人間にはその未来さえない。
よって殺人を犯した犯罪者からは一切の未来を剥奪しなければ真の「公平」ではない。
更生できる・できないの問題ではない。
まず犯した罪の重さを自分自身が背負うことが先だろう。

もし殺人者が不治の病に犯されたとしたら、
せいぜい、余命1ヶ月を切った当たりで「自由」を与えるくらいが妥当ではないか。