NWAプロレスのアイコン、逝く

1960~80年代において世界のマット界で活躍した名レスラー
“ミスター・プロレス” こと ハーリー・レイス 氏が亡くなられました。
享年76。

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オイラが初めてその雄姿をテレビで目撃したのは、
たしか昭和50年1月の新春ジャイアントシリーズ (全日本プロレス) で、
シリーズ最終戦となる1月29日の東京体育館での馬場とのPWF選手権試合は、
レイスの切り札でもある オリジナル・ダイビング・ヘッドバッド が初公開された
メモリアルな一戦であったと記憶しております。

レイスの ダイビング・ヘッドバッド は、後に ダイナマイト・キッド が得意とした
リング中央に倒れている相手に 「吹っ飛んでいく」 ようなスタイルではなく、
コーナーの近くで仰向けにダウンさせた相手に 「頭から崩れ落ちる」 ような形で決める、
ハッキリ言って、見た目が悪く、また、必殺技としての説得力に乏しい、
なんとも残念なフィニッシング・ムーヴでありました。
(それでも、歴史的必殺技の初公開試合をリアルタイムで目撃できたことは、
いちプロレスファンとして、実にラッキーであったと自認しています。)

その後、何度となくNWA世界王者となり、ダーティ・チャンプぶりを披露してきましたが、
新日本のリングで スタン・ハンセン のアップテンポな試合づくりを見慣れてしまうと、
正直なところ、ハーリー・レイス が歴史に残る名レスラーであるとは、
当時のオイラのプロレス観では計り取ることはできませんでした。

今でこそ、G馬場 との伝統芸能のような試合も懐かしく振り返ることができますが、
前述のとおりリアルタイムでは、大した試合であるとは思っていませんでした。

2019年の今日、レイス、フレアーと受け継がれた、在りし日のNWAチャンピオン像を
新日本の ジェイ・ホワイト が踏襲しようとしていることに 輪廻転生 を感じてしまうのは
オイラだけでしょうか。

決して美男子ではないのに、ニヒルにも ハンサム・ハーリー・レイス としてデビューし、
ミスター・プロレス にまで登りつめた プロレス界の帝王に合掌。



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 8月定例やまぼうしライブに関するお知らせ

本来であれば、8月9日(金)に月イチ定例やまぼうしライブを開催するところですが、
3連休の前日でオマケにお盆ということもあるため、
今年は 「お休み」  とさせていただきます。
ご理解のほどよろしくお願いします。
(9月13日(金)のやまぼうしライブは開催いたします。)


▼関連リンク

2019.04.29 シミフェス17 ライブステージダイジェスト











2000年頃につくったオリジナル曲











※オイラ20代の頃に加入していたアマチュアバンド アーバンギア のデモ音源です

※オイラがファン倶楽部会長(本人未公認)を務めるアマチュアミュージシャン あやあね のブログです

※故・森下よしひささんの名曲をCD化するというプロジェクトです

※オリジナル曲や関係各位のライブ音源等をアップロードしてあります

宅録作品や関係各位のライブ映像等をアップロードしてあります

※2004年に立ち上げたホムペですが2007年以降更新しておりません

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