ペドロ・ドロップ
1970年代に日米マット界で活躍された名レスラー
60年代はロスのWWAを中心に、
70年代前半はWWWF王者としてニューヨークで大活躍。
ヒスパニック系移民からの絶大な支持を受けていたそうな。
日本では、1966年に日本プロレス、1974年に全日本、1976年以降は新日本に来日。
オイラは新日本での活躍をリアルタイムに目撃した世代です。
上背はないもののガッチリとした体格で身長のハンデを見事に補い、
スーパーヘビー級の選手とがっぷり四つに組み合うスタイルが豪快でした。
また、他の選手使わないようなオリジナル技がいくつもあり、個性を際立たせていました。
●ストマック・パンチ
ロープに振って返ってくる相手とすれ違いざまに、どてっ腹にオープンハンドのボディブローを叩きつける打撃ワザ。
●フライング・リバース・ドロップ
スタンディング状態で相手に後ろ手を極められた状態から、相手選手を飛び越すように後方空中回転し、着地したときには、逆に相手の後ろ手を極めているという返しワザ。
ある意味、ウルティモ・ドラゴン の アサイ・DDT、内藤哲也 の デスティーノ の原型と言えます。
●ダイビング・セントーン
今では珍しくない、コーナーポストからのセントーンですが、
70年代にはまだ 「セントーン」 という名称が輸入 (!) されておらず、
また、コーナーポストからのダイビング技といえば、
ニードロップかストンピングが定番だった時代に、
背中から落下するワザというのはインパクト大でした。
●ペドロ・ドロップ (ペドロ・スペシャル)
恐らく昭和プロレスファンに 「モラレスの切り札と言えば?」 と質問すれば10人中9人ががこのワザを挙げることでしょう。
アントニオ猪木 の全盛時に モラレス はNWF王座に2度挑戦していますが、
一度目の1978年7月24日の試合は、昭和プロレスファンの間では
「NWF王座戦史上唯一のノーテレビ試合」 として伝説化しています。
その理由は、猪木の体調不良により
「テレビ放送するに値しない試合と判断された」
という説が有力ですが、真実は闇の中です。
▼詳細はこちらのリンク記事をご覧ください。
上記リンク記事にも書かれていますが、
もし、この試合で猪木を再起不能にしてしまっていたら、
プロレスの掟により、その後の モラレス のレスラー人生はなかったことでしょう。
そんなワケで、日本のプロレスファの記憶に残る名試合というのはなかったと思いますが、
節目節目で、日本のプロレス史に 爪痕 を残した選手であると言えます。
オイラ的には、最後の来日となった1985年における、
スーパー・ストロング・マシン との一騎打ちが凡戦に終わったことが残念でなりません。
職人肌の似たタイプの二人の試合はプロレス通を唸らせる思ったんですが、
あっけなく両リンで終わってしまい、もったいないと感じたモンです。
燃える闘魂 をキリキリ舞させた ラテンの魔豹 に合掌。
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▼ 3月定例やまぼうしライブ
日時 3月8日(金)19時30分~21時00分
会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし
出演 19時30分~ ノーザンスター (アコギ弾き語り)
20時15分~ Hiddy & Satty (大正JAZZ浪漫)
▼関連リンク
2000年頃につくったオリジナル曲
※オイラ20代の頃に加入していたアマチュアバンド アーバンギア のデモ音源です
※オイラがファン倶楽部会長(本人未公認)を務めるアマチュアミュージシャン あやあね のブログです
※故・森下よしひささんの名曲をCD化するというプロジェクトです
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※2004年に立ち上げたホムペですが2007年以降更新しておりません
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