アメリカン・ドリーム、没す

 1970年~80年代において、日米のマット界を席巻したプロレスラー、
ダスティ・ローデス さんが亡くなられました。
享年69歳。

イメージ 1

オイラが初めてローデスの雄姿をテレビで拝見したのは、
1975年11月の全日本プロレスの 「ジャイアントシリーズ」。

盟友の ディック・マードック との名タッグ 「テキサス・ジ・アウトローズ」 で、
馬場&鶴田 の全日師弟コンビのインタータッグに挑戦するも敗北。
この頃の日本におけるローデスの評価は 「マードックのイマイチ頼りないパートナー」
程度だったと思います。
(そー言えば、馬場、鶴田、マードック、ローデス、全員が故人となってしまいました)

ちなみに、この頃までの日本におけるニックネームは 「極道」
その後、1977年のWWF登場あたりからアメリカでの人気がブレイクし、
日本のプロレス専門誌のニックネーム表記も アメリカン・ドリーム」 に変わりました。

1979年に ハーリー・レイス を破ってNWA世界王者になってからは、
新日本プロレスの常連外人となるも、ついに新日本のリングでのNWA戦は実現しませんでした。
ただ、アメリカでの人気が日本にも飛び火し、ローデスがモンローウォークするだけで、
お堅い気質の新日本ファンが沸いていたので、まあ、いい時代でしたねえ。

残念ながら、日本で名だたる選手といくつもの 「夢の対決」 が実現しながら、
その9割以上が両者リングアウトやフェンスアウト、反則裁定に終わってしまい、
日本プロレス界の伝説となるような名勝負を残すことはできませんでした。

オイラ的には、好きでも嫌いでもないレスラーでしたが、唯一、
独特のステップで繰り出す 「バイオニック・エルボー・ドロップ」 の切れ味だけは、
素晴しかったですねえ~。
ちなみに、相棒の ディック・マードック もまったく同じモーションの
エルボードロップを繰り出しておりました。
今となっては、二人が同時に繰り出す、ツープラトン・エルボーを見てみたかったと思います。

▼2’30”あたりからのムーブに注目!


昭和に活躍したプロレスの名選手が少なくなっていくのは本当に残念です。
極道の獣戦車に合掌。






■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■

▼ 7月定例やまぼうしライブ











  日時 : 7月10日(金) 19時30分~21時00分
  料金 : @500円 (ワンドリンク付き)
  内容 : 19時30分~ 丸山研二郎 (ギター弾き語り)
       20時15分~ あやあね (劇空間音楽
 


▼ 関連リンク












トワイライト・ヴュー (2000年に宅録したオリジナル曲です)








※オイラ20代の頃に加入していたアマチュアバンド アーバンギア のデモ音源です

※オイラがファン倶楽部会長(本人未公認)を務めるアマチュアミュージシャン あやあね のブログです

※故・森下よしひささんの名曲をCD化するというプロジェクトです

※オリジナル曲や関係各位のライブ音源等をアップロードしてあります

宅録作品や関係各位のライブ映像等をアップロードしてあります

※2004年に立ち上げたホムペですが2007年以降更新しておりません

■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■