日本人はそれほど音楽が好きではないかもしれない?

少し古いネタですが、サムラゴーチ関連のコラムで
オイラ的に的を射てると思うモノがありましたのでご紹介させていただきます。

▼ 2014年2月11日付けのBLOGOS記事より


「現代のベートーヴェン」 と呼ばれた作曲家・佐村河内守氏 (50) の自白と
ゴーストライターの記者会見の内容は日本ばかりか、海外でも報道された。
音楽の都ウィーンでも佐村河内守氏の問題は伝えられた。
少し、遅くなった感じもするが、当方が感じてきたことをまとめてみた。

日本からの報道を聞いて、「どうして18年間も分からなかったのか」 という素朴な疑問とともに、
「全聾で、原爆被爆地の広島生まれの作曲家」 といった同氏のプロフィール
(一種のキャッチフレーズ) がなかった場合、「同氏が作曲した曲は評価されただろうか」 と考えた。

同氏のプロフィールをまとめる。
「広島で被爆者の子として生まれ、独学で作曲を学んだ。35歳の時までに聴力を失った。
佐村河内氏が作曲したという 『交響曲第1番 《HIROSHIMA》 』 は、
2008年に広島で開催された主要8カ国議長サミット記念コンサートで演奏された。
同CDは18万枚売れた。 佐村河内氏は国内外で “現代のベートーヴェン” という名声を得た」

ネット情報によると、有名な音楽評論家もゴーストライターが作曲した曲を
高く評価していたというから、その曲は音楽的価値があったのだろう。
しかし、「耳が聴こえて、東京出身の作曲家」 (すなわち、普通の新進作曲家) だったら、
佐村河内守氏が発表した音楽は同じように高い評価を受けただろうか。

音楽を含む芸術作品の評価は非常に難しい。
時代は違うが、あのモーツアルトですら、ウィーンの貴族社会での評価は芳しくなかった。
モーツアルトの作品を最初に評価したのはプラハの人々だった。

ベートーヴェンモーツアルトの音楽を酷評すれば、
「お前は音楽を知らない」 と馬鹿にされるだけかもしれないが、21世紀の今日、
新しい音楽家が作品を発表し、高い評価を受けるためには、作品だけで十分だろうか。
やはり、セールスポイントが必要だろうし、人々の心を掴むキャッチフレーズが大切だろう。

ゴーストライターが書いた曲が 「現代のベートーヴェン」 という評価に
相応しい水準にあったとすれば、自身が堂々と発表すれば良かったはずだ。
それを影の作曲者の立場に甘んじたのは、やはり 「全聾で、被爆地広島出身の作曲者」 という
プロフフィールが音楽の評価に大きな影響を与えることを良く知っていたからだろう。

私たちはいい悪いは別として、作者や作曲家のプロフィールを重視する。換言すれば、
私たちが独自に評価を下す前に権威者の評価を大切にする。
「あの人がいいというのだから」 といった受け取り方だ。

音楽に限定して考えてみよう。
どれだけの人が聴いた曲を純粋に芸術的観点で評価できるだろうか。
大多数の人は専門家や権威者といわれる人たちの評価に頼る。
なぜならば、私たちは評価できる専門知識も能力を持ち合わせていないからだ。

その意味で、佐村河内守氏のような不祥事は今後も生じるだろう。
なぜならば、私たちは自分の感性で芸術作品を評価したり、
観賞する習慣を久しく専門家や権威者に委ねてしまっているからだ。
私たちは折り紙つきの作品しか分からなくなってしまったのではないだろうか。

話は少し飛ぶが、デンマーク童話作家 クリスチャン・アンデルセンの 「裸の王様」 をご存じだろう。
2人組の詐欺師が、「馬鹿には見えない特別の布地」 で作ったという触れ込みで王様に服を織る。
出来上がった服を見に来た王様は何も見えないが、馬鹿と思われたくないので何もいわない。
家来も路上の見物人も同じように馬鹿と思われたくないのでその服を称賛するが、
一人の子供が王様の裸姿を正直に語ったという話だ。

偽ってきた佐村河内氏とゴーストライター、音楽関係者、一部のメディア関係者の責任は重いが、
私たちも 「現代のベートーヴェン」 事件から教訓を学ぶべきだろう。
難しいことだが、専門家の評価はガイドブックとして利用するが、
自己の感性を磨き、音楽を含む芸術作品に素直に向かい合うことが大切ではないだろうか。


ふーむ、要約すると、権威に惑わされない確固たる自分の 「目」 と 「耳」 を鍛えて、
自分の判断、判定を主張するスキルを持つことが大事だというオチですな。

オイラの場合、残念ながらクラシックを判定するまでのスキルは有しておりませんが、
一般大衆音楽については、それなりのスキルを鍛えてきたという自信があります。
なーんて大言壮語している矢先に足下をさらわれる、というのが世の常ですので、
あまり自信過剰になってはいけません。

さて、ハナシは微妙に変わりますが、オイラは
「一般的な日本人はそれほど音楽が好きではない」
と考えています。

たとえばオイラの親父などは自分が好きな演歌以外の音楽には100%興味がありません。
「新しい音楽を聴こう」 という意欲は0%で、たとえばテレビで知らない曲が流れると、
「最近の曲はわかんねえ!」 と、30年以上も同じ台詞を吐き続けています。
しかし、これは至って一般的な 「日本人の音楽的嗜好」 ではないか、と思っています。

恐らく40代以上の方々に、「積極的に新しい音楽を聴こうと思いますか?」 と尋ねたら、
8~9割の方は 「ノー」 と回答するのではないか、と妄想します。

さらに言えば、アマチュアミュージシャンに同様の質問をしたとしても、
自分が演っている音楽ジャンル以外の 「新しい音楽」 も積極的に聴く、という回答は、
恐らく1~2割程度ではないでしょうか。

では、一般的な10代~20代の音楽ファンはどうか?
恐らく前述の方々よりも 「新しい音楽を積極的に聴く」 という回答は多いと予測しますが、
一方では、「映像なしの音楽」、つまり 「CD等の音楽媒体」 への興味は
かなり低くなるような気がします。

あくまでオイラの勝手な妄想に過ぎませんが、
オイラが考える 「一般的な日本人」 の音楽嗜好は次のようなものです。

・自分が思春期に熱中した音楽ばかりを一生聴き続ける傾向が強い。
・年齢を重ねるに伴って新しい音楽を聴こうという意欲も減少傾向に向かう。
・音楽 (楽曲) そのものよりブランド (歌手・作曲者・演奏者等) を重視して音楽を選ぶ傾向が高い。

現在、欧州等では 「定額制の音楽聴きたい放題サービス」 が浸透していると言われています。
その代表的サービスである 「Spotify」 が2014年には日本上陸するかもしれません。
しかし、そこで提供されるであろうコンテンツは、
多くの日本人にとって 「未知の洋楽」 が大半を占めるものと予測されます。

つまり、Spotifyが日本で成功すれば前述のオイラの妄想は 「虚言」 であったことになり、
失敗すればオイラの妄想は 「現実」 だったということになると思うワケです。

オイラごときが日本人の音楽嗜好について意見するなどおこがましいですが、
少なくとも 「ミュージシャン」 を自称する方々は、もっと積極的に 「新しい音楽」 を聴くよう心掛け、
少しでも自分の音楽の足しにすべきではなかろうか?

と、ほんの少し思ってしまいましたとさ。
ちゃんちゃん。




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 ▼ 月定例やまぼうしライブ
  日時 : 3月14日(金) 19時30分~21時00分
  料金 : @500円 (ワンドリンク付き)
  内容 : 19時30分~ 渡辺真由子 (ピアノソロ)
       20時15分~ ノーザンスター (ギター弾き語り)

▼ 関連リンク












トワイライト・ヴュー (2000年に宅録したオリジナル曲です)








※オイラ20代の頃に加入していたアマチュアバンド アーバンギア のデモ音源です

※故・森下よしひささんの名曲をCD化するというプロジェクトです

※オリジナル曲や関係各位のライブ音源等をアップロードしてあります

宅録作品や関係各位のライブ映像等をアップロードしてあります

※2004年に立ち上げたホムペですが2007年以降更新しておりません

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