ミスター 「ゴング」 死す

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1968年に日本スポーツ出版社から刊行された月刊誌 「ゴング」 の初代編集長にして、
日本プロレス界を代表するマスコミの顔であった 竹内宏介 さんが、去る5月3日に逝去されました。
享年66歳。



オイラは1975年から 「月刊ゴング」 と 「別冊ゴング」 (実質の隔週発行) を、
そして1984年の週刊化からは 「週刊ゴング」 を、
2007年の休刊まで32年間にわたって購読していたので、
当然ながら、同誌の 「顔」 である竹内宏介氏には、多大なる影響を受けております。

ちなみにオイラは、週刊ファイト紙とゴング誌を愛読し続け、週刊プロレスはほとんど読んでおりませぬ。
その理由は、単純に文面がオイラの性格に合わなかったからですが。

よって、オイラの書く文体や文章表現には、ファイトの井上編集長、
ゴングの竹内・小林・清水・小佐野・金沢編集長らの書かれた記事、表記方法等に強く影響を受けております。

中でも、抽象的で思わせぶりな表現の代表がファイトの井上編集長であったのに対し、
具体的でわかりやすく単純明快な表現の代表が竹内編集長であったと思います。

世間一般的には1978年頃からの 「全日本プロレス中継」 の解説者として馴染みが深いと思いますが、
オイラ的にはやはり、「ゴングの竹内」 がすべてであります。

後年の暴露本、いや、「今だから話せる」 系の書籍によると、
数度にわたり、日本プロレス史を揺るがした 「事件」 の裏で暗躍されていたようですが、
すべては日本プロレス界の活性化のためであったと信じております。

いずれにしても、他のプロレスマスコミ関係者に比べて 「常にファン目線」 でプロレスを見続け、
プロレス幻想を失墜させるようなスキャンダルを、いい意味で 「無視し続けた」 功績を評価したいです。
一方では、真実を公表せず、臭いものに蓋をしたままの報道姿勢を否定する向きもありますが、
「あの頃はあれで良かった」 のだ、と言うのが昔から変わらぬオイラの見解です。

今にして思えば、一度くらいは竹内さんのぶっちゃトークが炸裂する講演会等に行ってみたかったです。

2007年頃に脳梗塞で病床に伏されて以来、多くの関係者が奇跡の復活を願っておりましたが、
2012年5月3日、残念ながらミスター・ゴングは天に召されました。

永遠のプロレス少年に合掌。


▼ぜひこちらのゴング関係者の追悼ブログ記事もご覧ください。











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