スーパースター、再会す

プロレスカメラマン大川昇氏のブログに、昭和プロレスファンには感涙モノの写真が掲載されておりますた。

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今回、IGFの興行にマスカラスが参戦したことにより実現した、燃える闘魂仮面貴族 の超貴重な2ショット!

▼大川氏のブログ元ネタはこちら
http://ameblo.jp/depomart/entry-10793550367.html


ちなみに現役時代に両雄が直接対戦したのはわずかに3回。

●1971年2月20日/大阪府立体育会館 *V13
アジアタッグ選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木 吉村道明(2-1)ミル・マスカラス ダグ・ギルバート
※詳細な試合結果は確認できず

●1971年3月2日/蔵前国技館
インターナショナルタッグ選手権試合 60分3本勝負
ジャイアント馬場 アントニオ猪木(2-1)ミル・マスカラス スパイロス・アリオン
1 マスカラス(16分25秒体固め)猪木
2 馬場(5分49秒片エビ固め)アリオン
3 猪木(3分25秒卍固め)マスカラス

●1971年3月6日/群馬県スポーツセンター
シングルマッチ 60分3本勝負
A猪木(2-1)マスカラス
1 マスカラス(14分19秒 体固め)
2 猪木(4分13秒 コブラツイスト
3 猪木(5分3秒 リングアウト

その後、猪木は自身の団体である新日本プロレスを設立し、
マスカラスは馬場が設立した全日本プロレスの常連ガイジンレスラーとなったため、
二度と対戦することはなかった。

ちなみに、元・新日本プロレス営業部長の新間氏のインタビューによると、
マスカラスが全日本に来日した際に、新日本への 「引き抜き」 を企てたことがあったとのことだが、
誇り高き仮面貴族は、引き抜き交渉の話には応じたものの、自分から具体的なファイトマネーを提示せず、
終始、商談 (?) を自分に有利に進め、結局、引き抜きには応じない結果に終わったそうな。

もし、この時、マスカラスが新日本に登場していたとしたら、どんな展開になっただろうか?

恐らく昭和プロレスファンの100人中99人が想像するとおり、シングル戦が組まれたとしても、
プライドの高さにかけてはどちらも絶対に譲ることはないと思われる両雄だけに、
百歩譲って時間切れの引き分け、もしくは両者リングアウト
まあ、結局のところはマスカラスが藤波あたりと対戦し、辛勝を収め、猪木とのシングルは実現せず、
と言うオチになるのが関の山であったと思われ。

そんなふうに 「if」 の展開を妄想するのもまたプロレスの楽しみだったりする。

昨日ブログの八百長と少し関連するが、プロレスは観客が存在してこそ成立するエンターテイメントであり、
観客をファンタジーの世界に誘うこともまた醍醐味のひとつとなっている。


猪木68歳 (ちなみに2月20日で69歳)、マスカラス69歳。
世界を股にかけてファンを熱狂させ続けてきたスーパースター二人の熱い抱擁。

たとえプロレスがフェイクだろうと、八百長と呼ばれようとも、
このシーンにファンタジーを感じ、熱いモノがこみ上げてくるファンがいる事実こそが、
プロレスの存在意義なんであーる。




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