「八百長」 の判定基準とは?

オイラは
「ギャンブルの対象となっている事象の結果を何者かが意図的に操作すること。」
が 「八百長」 の定義である、と勝手に思いこんでいた。

具体的には、競輪、競馬、競艇オートレース、カジノ、等の博打におけるイカサマ行為のことだと。

いや、正確に言うと、ミスター高橋の暴露本 が出版されるまで
「勝敗だけはリアル」 と思っていたプロレスの試合が、実はフェイクであったと知らされても、
それをもって 「八百長」 とは言わない、との説明に妙に納得してしまった。

プロレスはエンターテイメント・スポーツ。
いや、スポーツ・エンターテイメントと呼ぶ方が正しいのか?

んなこたー、どーだっていい。

日本におけるプロレスは、戦後、敗戦国である日本国民のストレス解消として人気を得た、
と言う見方が定説であり、さらに佐山聡氏の見解によると、
GHQが日本国民の反感をリアルな 「アメリカ人」 からリング上の「ガイジンレスラー」に転嫁させることで、
ガス抜きを図っていたとのこと。

ちなみに、アメリカの映画やテレビ番組、スポーツ等を次々と日本に導入することにより、
「お国のためなら死ねる」との国民意識を 「娯楽」 方面に向けさせ、
日本人を 「骨抜き」 にさせる意図があったそうな。

なので、当然、力道山はガイジンレスラーに勝たなければならない。
お客さんが入場料に相当するだけの対価=満足感を与えて返さなければならない。
そのためにはどうしたらいいのか? によって得られた答えがプロレス興行の方法論に行きつくとな。

さて、問題はここから。

果たしてお客さんに 「リアルファイト」 と思わせておきながら、
実は事前に勝敗を決めてあった事実をもって 「八百長」 と判断されてしまうのであろうか?

たしかに事実を隠ぺいして観客の興奮を煽っていたと言う事実は、あった。
そして事実を隠ぺいして筋書き通りに演出を行ったからこそ観客は興奮することができた、
との結果を残せたこともまた事実。
もし、力道山がガイジンレスラーに勝ったり負けたりしていたら現在のプロレス・・・
いや、昭和時代の日本人のガイジンコンプレックスは解消されていただろうか?


さらに言えば・・・

コンサートで 「お約束」 となっている 「アンコール」 の演出。
事前にアンコールを予測してアンコール曲を用意しておくことは八百長ではないのか?

国会での答弁。
事前に質問を提出してあるにもかかわらず、その場で受け答えしているかのような口論は八百長ではないのか?

マジックショー。
「種も仕掛けもありません」 の口上は八百長ではないのか?

歌謡ショー。
口パクで歌うことは八百長ではないのか?

ネズミ講まがいの通信販売。
いかにも儲かりそうな話をでっち上げて商売を展開することは八百長ではないのか?

健康食品等の誇大広告。
いかにも効きそうな、医薬品以上の効能があるかのような虚偽広告は八百長ではないのか?

アマチュアミュージシャンのライブ。
最高のミュージシャンが出演すると謳われていたのに、実際に行ってみると・・・八百長ではないのか?

1984年、ロス五輪の男子柔道決勝における山下泰裕vsラシュワン戦。
山下は2回戦で右足を負傷したにも拘わらず優勝した。
決勝で対戦したラシュワンは試合後、意図的に負傷個所を攻撃しなかったことを明言し、
日本のマスコミはフェアプレーであると評したが、対戦相手を気遣って敗北することは八百長ではないのか?

今回の大相撲における八百長騒動。
負ければ後がない (幕下に転落) 力士を気遣って勝ちを譲ることは八百長なのか?

オイラたちの日常生活。
気に入らない会社の同僚、気に食わない同級生、目障りな共演者。
彼らに対し、あからさまに他の人とたちと差別的な態度を取ることは八百長ではないのか?


オイラはプロ野球にもJリーグにも大相撲にもほとんど興味は無い。
プロレスヲタであるゆえ、前述のような 「プロレスのカラクリ」 を知らされたときはショックを受けたが、
その歴史、必然性、観客論、興行論を説明されて理解したと言うか、受け入れることができ、
それからはそのようなカラクリを踏まえたうえでの 「新たな楽しみ方」 を模索するようになった。

そー言った意味では、大相撲のシステムに何らかの 「カラクリ」 があったとしても驚かない。

ちなみに格闘技に精通している識者の意見は次のとおり。
「そもそもリアルファイトを15日間も続けられることの方がおかしい。
ボクサーや総合格闘技の選手の試合数が年間1~4試合程度であることを踏まえれば、
いかに大相撲の試合数の多さが不自然であるかがわかる。
意図的に観客を楽しませる「興行」としての側面がなければ成立しない試合数である。」


今回の八百長騒動であらゆるマスコミが、まるで敵の大将の首を取ったかのように大相撲を糾弾しているが、
たとえばマスコミ会社に従事する社員の方々。
あなたがたが会社の上司に中元や歳暮を贈り便宜を図ってもらうことは八百長ではないのか?
おべっかなど使わずに自分の仕事能力だけで実績を上げることこそがガチ (真剣勝負) ではないのか?
テレビ局の演出でサクラを入れたりすることは八百長ではないのか?
映画でいかにも実際のロケのような画面をCGで演出することは八百長ではないのか?


幸か不幸か、世の人々はガチ勝負だけで生きて行けるほど不屈の精神を持っているとは思わない。
少なからず心にもないお世辞やおべっかや、金銭的な収受で人間関係を維持していると思う。
それは家庭においても、仕事においても、趣味においても言えること。

今日において、大相撲の一部の力士がお互いの同意のうえで事前に勝敗を決めていた、
と言う事実は本当に 「史上最大規模の不祥事」 なんであろうか?

恐らく江戸時代から脈々と続く大相撲の 「伝統 (勝負はすべてガチを思わせること)」 が、
情報公開と言う時代の趨勢に抗しきれなくなった節目の出来事に過ぎないのではなかろうか?

もしオイラが、何らかの歴史あるイベントに関係する機会があったとして、
その道のおエライさんから、「このことは絶対に口外してはいけない門外不出の伝統だぞ」
と何らかの情報を伝授されたとしたら、果たしてオイラは自分一人の判断で
その情報を外部にリークしようと思うだろうか?
恐らくオイラはその情報を、次に携わる後輩に、先輩に言われたとおりに伝授し、
自分自身は墓場まで持っていくことを選択すると思う。
もし、その情報を後輩が先達の教えに背いて外部にリークし、
その結果、自分や先達が非難される結果になってしまったら、オイラはきっとこう思うはず。
「裏切り者め!」


ガチンコ勝負だと思わせておいて実際は事前に勝敗を決めておくことは、
たしかに広義の意味で 「八百長」 であると思う。

しかし狭義の意味での 「八百長」 とは、
前述のとおり特定の人間の利益目的のためにアンフェアな行為を働くことだと、オイラは思う。

今回の大相撲騒動を糾弾しようと言うのなら、
その当事者は、まず自分自身の身の回りにある八百長の数々を検証すべきではないだろうか。




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