伝説の三冠戦 川田利明 vs 小橋健太

日本国民にとって決して忘れられない記憶となった 阪神大震災 が起こったのは、
今から12年前の1995年1月17日。

みなさんご承知のとおり、国を挙げての被災者救済活動が行われたワケだが、
そんな中、発災2日後の1月19日に大阪でプロレス興行が行われたことをご存知か?

プロレスファンの間では有名なエピソードであるが、
ジャイアント馬場率いる全日本プロレス軍団は 「新春ジャイアントシリーズ」 のまっただ中で、
この震災のニュースを耳にした。

実は、このシリーズの最終戦として被災地の直近である大阪府立体育館での大会が予定されていたのだ。

このとき、ジャイアント馬場は悩みに悩みぬいたそうな。
大会を決行すべきか、他の日に他の会場に変更すべきなのか。

そして熟慮の結果、大阪大会を決行することとした。

果たして、同大会では凄まじい試合が繰り広げられ、
ぬわんとメインエベントの三冠戦では、
川田利明と小橋健太が60分を戦い抜いての時間切れ引き分けとなったのだったんだった!

一歩間違えば不謹慎と言われかねないシチュエーションで、
見事に被災者に勇気を与えた選手たちこそホンモノのプロフェッショナルであり、
超一流のパフォーマーなのだと思う。

そしてこの大会を決行した馬場の才覚、と言うか大英断。
それも彼らのような「ホンモノのプロレスラーの資質」を信じているからこその決断だったと思う。

言い換えれば、生半可な気持ちで「被災者のためのナントカイベント」などやるべきではない、
とオイラは考える。


ちなみに後日談として、かのジャイアント馬場は、
会社に断りなく自身の判断で被災地に赴き、一軒一軒を回り、
「大丈夫ですか? がんばって下さい。」と声を掛けたと言う。

なお、ご本人の名誉のために付記すれば、これは当時のプロレスマスコミにも知らせておらず、
後年、風の噂(?)でその事実が伝聞され、報道されたと言うことらしい。

▼こちらのサイトでその模様が伝えられています
http://www.giant-baba.com/bokin.php


恐らく今回の能登半島地震被災地にもこれから多くのチャリティイベントが立ち上がることと思われ。

オイラはただそれを見守っているだけでいいのだろうか?

いいはずはないのだが・・・




■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■

  ▼ Recording Studio GARAGE MIHO(本館)はこちら
   http://www.geocities.jp/garage_miho

  ▼ やまぼうし4月定例ライブ開催間近!
   日時:4月13日(金)19時30分~
   出演:チャオくぼた、quiche(キッシュ)
   料金:@500円(ワンドリンク付き)

■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■-■