木戸修のベストバウト?

例によってユーチューブ漂流していたら発見しました。
1977年5月20日、新日本プロレス 「ゴールデンファイトシリーズ」 の
川崎市体育館大会における 木戸修 vs テリー・ルージ の30分一本勝負。



▼ テリー・ルージのプロフィール

いや~、両選手の動きが素晴らしいっ!

恐らく新日本プロレス設立当初にアントニオ猪木が目指していたであろう
「スポーツライクなプロレス」 を見事に体現した試合内容だと確信します。

翌1978年に凱旋帰国してドラゴンブームを巻き起こす 藤波辰巳 に勝るとも劣らぬ
木戸修 のスピーディーで流れるようなムーヴが実に見事っ。

所どころに、藤波、藤原、ロビンソンを彷彿させるムーヴが展開されるのを見ると、
いかに初期の新日本において 「ゴッチ・イズム」 が
浸透していたかが確認できて感慨深いです。

恐らくオールタイムキャリアの中でこの頃が全盛期だったのではないでしょーか。
もし翌年、藤波辰巳 のブレイクがなければ、
新日ナンバースリーのポジションに就いていたのは 木戸修 だったかもしれません。

それにしても、木戸修 がフィニッシュに ジャーマン を使っていたとは知りませんでした。
投げるタイミング、ホールドしたときの人間橋の美しさ、いずれもパーフェクト!
30分一本勝負ということは、セミファイナルのさらにひとつ前の取り組みと妄想しますが、
そんな中堅ポジションの出番であるにも関わらず、
ジャーマンという大技フィニッシュが許されていた、ということは、
それだけ当時の木戸が会社から期待されていたことの裏返しでもあります。

もし、新日本が 木戸藤波 を本格的に次代のエース候補として一緒に売り出していたら、
ビミョーに歴史は変わっていたのではないか? と妄想してしまいます。


いい機会なので付け足しますと、
90年代に藤波が5度目、6度目のIWGP返り咲きを果したとき、
挑戦者に木戸修を迎えての防衛戦を行うべきだった! 
ということをオイラは強~く主張しますっ!
会場はもちろん 札幌中島スポーツセンター で。

当時のタイトルコンテンダーのラインナップと比べると 「見劣り」 は否めませんが、
木戸 と 藤波 の歴史を鑑みれば、そのくらいの 「粋な計らい」 は、
当時のプロレスファンであれば、歓迎こそすれブーイングを起こす者など皆無だったはず。

王者・藤波辰爾 vs 挑戦者・木戸修 のIWGP選手権。

見てみたかったなあ~



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 1月定例やまぼうしライブ








日時 1月11日(金)19時30分~21時00分
会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし
出演 19時30分~ 竹田キミヒコ (アコギ弾き語り)
    20時15分~ PAL (アコギ弾き語りデュオ






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2000年頃につくったオリジナル曲












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