ロシアの白熊、没す
70年代の新日本プロレス、80年代のWWF (現・WWE) 等のリングで活躍した
享年70。
▼ヤフーニュースへのリンク
▼Wikipediaによる解説
(注: 当時のカタカナ表記は 「二コリ・ボルコフ」 だったので、以下、これに倣います。)
オイラ的には、1974年における新日本プロレスでの活躍が記憶に残っています。
片手で相手選手を宙吊りにする 「ワンハンド・ネック・ハンギング・ツリー」 は見事でした。
フレッド・ブラッシー をマネージャーに、
シーク・オブ・シークズ・バグダッド をパートナーにして
猪木・坂口 の保持する北米タッグ選手権に挑戦。
ボルコフ が孤軍奮闘するも、シーク・バグダッド が狙い撃ちにされて完敗。
たしかそのシリーズの最終戦では、
猪木&坂口 vs ボルコフ&ブラッシー のノンタイトル戦も実現。
またもや、ボルコフ の孤軍奮闘空しく、
ブラッシー が血だるまKOとなったと記憶しています。
今にして思えば、80年代にWWFの全米侵攻時の中核となる3人
= ボルコフ、バグダッド(シーク・アドナン・アル・ケーシー)、ブラッシー が
この時期の新日本に揃って参戦していたというのは、なかなか興味深い史実です。
まあ、そんなワケで、
「実力はあるもののパートナーに恵まれない、地味なパワーファイター」
という印象が脳裏に焼き付いてしまいました。
その後も何度か新日本に参戦するも、外人エースの座を与えられることなく、
全日本にジャンプしてからも 「外人エースの次点」 に止まる状態でした。
WWFでは、モスクワオリンピックのボイコット問題、ソ連崩壊、等のたびに
「ソ連のプロレスラー」 ギミックの ボルコフ にお呼びがかかっていたようで、
なんつーか、ビンス・マクマホン (シニア&ジュニア) に
「いいようにこき使われていた」 という印象を抱いているのはオイラだけでしょーか?
90年代からはベビー・ターンし、以降は中堅ポジションで
「気はやさしくて力持ち」 という、本来の自分と同じキャラを演じていくことになります。
WWFがエンタメ路線に転換し、シンディ・ローパー を 「客寄せパンダ」 に仕立て上げ、
レスラーたちをMTVのPVに出演させた頃、当然のように ボルコフ も画面の中に収まり、
柔和な笑顔で微笑んでいたのが印象深いです。
▼2分7秒あたりから散発的にボルコフが登場します
体格のシルエットだけを見れば、人類最強と呼ばれた エメリヤーエンコ・ヒョードル を
一回り大きくしたようなカンジであり、もしストリートファイトを行っていたら、
ドン・レオ・ジョナサン に匹敵するようなナチュラル・パワーを秘めていたかもしれません。
心やさしきロシアの白熊に合掌。
レスラーのOB会と思しき画像がてんこ盛りです
▼ぬわんと、人間発電所 とのツーショット! 感涙!
▼こんな動画があったとは! アンドレ&ボルコフ vs 猪木&長州 しかも三本勝負!
▼何気にこの動画も日本のプロレスファンには興味深い!
ボルコフ vs コーポラル・マイク・カーシュナー (後の スーパー・レザー)
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▼ 8月定例やまぼうしライブ
▼ 関連リンク
2014年1月10日のやまぼうしライブ PAL × Tacaco
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