弔辞 「森下よしひさ」 というフォークソング

オイラが初めて森下御大と出会ったのは1996年頃のこと。

静岡ローカルのタウン誌に掲載されたアマチュア音楽サークル会員募集の投稿を読んで、
そこに集った十数人のメンバーの中の一人でありました。

当時のオイラは、毎週のようにイベント関係のPAアルバイトをしていたものの、
音楽関係イベントのPA現場からは遠ざかっており、辛うじて宅録活動は継続していたものの、
バンド活動からは離れ、個人の音楽活動 (ライブ出演) に関しては皆無と言うか、
まだ始動前の状況でありました。

そんな状況であったため、前述のサークル会員募集の告知に興味を抱いた次第でしたが、
そこに集まったメンバーの音楽的実力は決して高いとは言えませんでした。
そんな中で抜きん出てクオリティの高いギター弾き語りを披露していたのが森下さん。

ちなみに当時の世の音楽事情はと言えば、小室ファミリーが全盛で、
アコースティック系では山崎まさよしやゆずが、なんとなく認知され始めた頃。
よーするに、1970年代フォークなどまったく 「出る幕」 がなかった時代です。

吉田拓郎の影響を受けて、1970年代後半 (当時高校生) からギターを弾き始めたオイラにしても、
1985年以降は完全にロック系に染まっていたので、
「すでに懐メロと化した70年代フォークを、ひと前で弾き語る機会など二度とないだろうなー」
と思っておりました。 いや、マジで。

そんな時代に、実に10~15年ぶりに聴いた森下さんの正真正銘のセメントフォークは、
見事にオイラの琴線に響きました。

「音楽ジャンルは関係ない。
 すぐれた曲を、すぐれた演奏者が演奏し、すぐれた歌手が歌えば、
 時代に関係なく素晴らしい曲になる。」

そんなアタリマエすぎる事実をオイラに突き付けてくれた張本人が森下さんでありました。


森下さんはオイラと同じ高校出身ながら、3歳年上のため同時期に在籍するはなく、
大学時代はプロミュージシャンを目指して、東京でも活動しておりましたが、
残念ながらその夢はかなわず、静岡に戻り、いち社会人として仕事に就かれておりました。
結婚し、子供も生まれ、生活も安定してきた頃に、前述の音楽サークル会員募集の記事を見つけ、
それが音楽活動再開のきっかけになったと思います。

その後、音楽サークルに集うメンバーも変化し、活動内容も変化していきます。

森下さんの音楽活動の特徴としては次のような点が挙げられます。

ライブハウスにチケットノルマを払って出演するよりも、
自分 (たち) で会場を借り上げ、ゼロの状態からイベントを企画することに重きを置く。

多くの出演者が出演するお祭りライブより、1~3組以下、2時間以内に終了するライブを重要視する。

自分のオリジナル曲にこだわらず、みんなで歌える有名曲を多く取り入れる。

自分から 「売り込む」 ことをしない。


オイラが特に強調したいのは、最後の 「自分から売り込むことをしない」 という点。

オイラが知る限り、森下さんの口から 「プロ志望」 とか 「自主製作CDを売り込む」 とか、
そういう言葉を聞いた記憶がない。
では、どうやって音楽活動をしていたかと言えば、偶然、森下さんのライブを目撃した方々が
口コミでウワサを広め、次々とライブ出演依頼が舞い込んできた、と言う顛末。

そして、出演依頼を受ける際にも自分からギャラ請求などされたことはないはず。
もちろんクライアントから相応のお礼はあったはずであるが。

2000年代に入ると、月イチ~2回くらいの頻度で路上ライブを行うようになり、
道往く人々の足をその場に留まらせる光景を何度となく目撃しております。

オイラを含めアマチュア楽家のほとんどは、
「一人でも多くの人に自分の音楽を聴いて欲しい」
「一人でも多くの人に自分の音楽を認めて欲しい」
「もし運良く収入に繋がれば、なお嬉しい」
と思っているはずです。

そして、その結果を求めて、日々練習を繰り返し、勉強を積み重ね、精進していくワケです。
しかしそれは、100人のアマチュア楽家のうち100人が実践していることであり、
その中から、人々に認知されるような抜きん出る存在になるにはプラスアルファの要素が必要と思います。

森下さんの場合は、人並み以上の作曲能力、歌唱能力があったと思いますが、
ハッキリ言って、森下さん以上の才能を持ったアマチュア楽家は他にもたくさんいるはずです。

それにもかかわらず、オイラや仲間たちが森下さんの回りに集ったのは何故か?
それはズバリ、森下さんの人間性、人柄、人としての魅力に他なりません。

決して大言壮語することなく、具体的な目標以上の夢を掲げることなく、
石橋を叩いて、自分の発言に責任を持って、言ったことは必ず実行する。

「夢はかなう」 という言葉は実に魅力的な響きに溢れていますが、
現実の生活において、本当の意味で 「夢をかなえた」 人は果たして何人いるのか?

「自分の音楽を多くの人に聴いて欲しい」
「自分のお店を持ちたい」
「大きな会場で自分 (たち) のコンサートを開いてみたい」

森下さんは、一歩一歩、確実にステップを踏んで、それらの夢をかなえました。
実現不可能な 「はかない夢」 ではなく、具体的な目標=夢を実現させました。


森下さんが亡くなる約1カ月前、森下さんは病室でこう話してくれました。

「自分の店を持つことができて、大きな会場でコンサートを開くことができて、オレは幸せだよ。」

いやいや、決してその程度のことで満足する森下さんではないはず。
本心は 「次にやりたいこと」 を実現させることができない無念さでいっぱいだったと思います。

最後まで仲間たちの心を気遣ってくれた森下さんだからこそ、
仲間たちは森下さんの回りに集います。


森下さんは決して特別な人ではありません。
普通に仕事して、普通に暮らしていた、普通の人です。
普通に笑って、普通に怒って、普通に頑固で、普通に大雑把な人です。
ほんの少しだけ歌とギターが上手くて、ほんの少しだけ僕より生きている時間が短かった。

森下さんは自己紹介するとき、「フォーク大好き人間」 というフレーズを好んで使いました。
決して 「音楽家」 とも 「ミュージシャン」 とも 「アーティスト」 とも自称しませんでした。
森下さんは普通の人でした。

森下さんは、みんなが知っている有名な曲を、みんなで歌うことが何より好きでした。
森下さんは、他の人より少しだけ音楽が好きな普通のオヂサンでした。

オイラも森下さんのような、少しだけ音楽好きな普通のオヂサンになりたいと思います。


ありがとうございました。

いずれまたそちらの世界でお会いできると思います。

安らかにお休みください。

合掌。







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  ▼ 北街道の唄
  ※[YouTube]ロゴをクリックすると大きな画面 (別ウインドウが開きます) で観られます
  

  ▼ 北街道の唄プロジェクト
  http://www.kitakaidounouta-project.net/
  ※故・森下よしひささんの名曲をCD化するというプロジェクト。
   森下さんへのメッセージを掲示板にお書きください。
   CDをお買い求めいただければなおうれしス

  ▼ Recording Studio GARAGE MIHO (本館) はこちら
   http://www.geocities.jp/garage_miho

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