男の美学

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ラッシャー木村 さんが逝去された。
享年68歳。

2003年に体調不良によりリングから遠ざかり、
結局リングへ復帰することなく2004年にプロレスラーを引退。
華々しい引退セレモニーを辞退しビデオレターによるファンへのお別れのメッセージで静かにマット界から身を引いた。

恐らく長期休場を続けた自分自身への不甲斐なさ、
会社に迷惑を掛けて申し訳ないと言う思い、
そして何より、もうレスラーとしてリングに立てない自分が現役選手より目立ってはいけない、
と言う気持ちからの引退セレモニー辞退であったと、オイラはそう信じている。

ラッシャー木村に関するエッセイを書こうと思ったら何万字でも書く自信がある。

日本プロレス界の 「良心」 であり、「言い訳をしない」、「筋を通す」、「寡黙」、と言った、
古き良き 「生きることが不器用」 な日本男児の象徴のような人物だったと思う。

ある意味、プロレス界における高倉健のようなイメージを持つのはオレだけか?


1981年、国際プロレスが消滅して、やむなく新日本プロレス参戦に活路を見出したとき、
新しい雇い主であった アントニオ猪木ラッシャー木村 に対して 「低い評価」 を下していたと言われる。

もっさりとしたムーヴ、柔軟性のない身体、
ヒールに仕立て上げるにはあまりにも 「人の良さ」 が滲み出ている風貌、等々。

ご存知のとおりプロレスとは、すぐれた対戦相手がいてこそ成立するスポーツエンターテイメントであり、
観客を手の平に乗せることにかけては世界有数の天才・アントニオ猪木にとって、
ラッシャー木村は実に 「スイングしない」 対戦相手だったようで、
その反応速度の遅さ、スマートさに欠ける運動能力や頭脳に苛立っている様子だった。

かつてアントニオ猪木東京プロレスから日本プロレスに復帰する際、
多くの若手選手を見捨てたトラウマがある。
そしてその見捨てられた若手選手の中に若き日の木村政雄選手がいた。

その後、木村選手は国際プロレスに拾われ、徐々に頭角を現していくが、
後輩のストロング小林マイティ井上ら先にエースの座に就かれてしまう。

そしてデビューから11年目にしてようやく国際のエースの座に君臨するも、
それから6年後に団体は崩壊し、吉原功オーナーの義理を立て、
因縁あるアントニオ猪木との邂逅を果たすことになったワケだ。

言わば猪木にとって木村は 「忘れたい過去」 であり、
木村にとって猪木は 「見捨てられた親」 であるワケだ。

ついに因縁深い猪木とのシングルマッチが組まれたが試合はスイングしない。
猪木が木村の攻撃を 「受け」 ようとしないのだ。
これは猪木が明らかな格下相手に行う嫌がらせの常套手段。

「こんなに反応が鈍いヤツと試合なんかしたくねえっ」

猪木の顔にそう書いてあったように感じたのはオイラだけではないはず。

ラッシャー木村をはじめとする浜口・寺西の3人による 「はぐれ国際軍団」 は、
ヒールとして新日本に登場して以来、国際時代とは比較にならない破格の高額ギャラを手にすることができたと言う。
その分、新日本からの 「極悪ヒールへ変身命令」 はエスカレートの一途を辿る。

敗者髪切りマッチの決行と逃亡、アントニオ猪木控室拉致事件
そしてトドメは3対1のハンディキャップマッチ。
国際のエースだった男にこれらのオファーは屈辱以外の何物でもなかったはず。
しかし、子分 (浜口、寺西) を食べさせるため、そして何より恩人 (吉原) への義理立てのため、
木村は一切の不満を口にすることなく、黙々と 「仕事」 をこなしたと言う。

そんなある日、木村が新日本の新間営業部長に体調不良による欠場を申し出た。
あの我慢強い、決して弱音を吐かない男が 「休ませて下さい」 と言うからにはよほどひどい体調であるに違いない。
新間部長からの報告を受けた猪木は黙って頷いた。

そんな木村の姿を見続けていた猪木は、シリーズ巡業の途中のとある地方大会の合同練習の際、
生ぬるい試合や練習を行っていた若手中堅選手を集めて一喝したと言う。

「お前ら! 少しはラッシャーを見習え!」

それから数カ月後、新日本との契約期間を満了する木村と猪木によるファイナルマッチが組まれた。
木村のことを 「天下のアントニオ猪木」 の相手を務めるにはあまりにドンくさいレスラーと見下していた猪木が、
リングに上がること自体が無謀とも言える体調不良の木村に非常なまでの叩き潰しを行った。
まるで自分の思い出したくない過去を消し去りたいが如く。
消し去ることなど無理とわかっているのに・・・

その日もラッシャー木村は寡黙を貫き、今、自分にできる精一杯の仕事をまっとうした。
そして木村は新日本プロレスを去る。

その後、木村が全日本、ノアを渡り歩いたことはご存知のとおり。


「忍耐」

ラッシャー木村さんの生きざまを一言で表すとしたらこの言葉がぴったりだと思う

「耐え忍ぶ」

時代遅れだと笑いたい奴は笑えばいい。

これこそが男の美学なり。


生きることが下手な正直者。
そんな愛すべき古き良き日本男児の生きざま、散り際を体現してくれた 日本プロレス界の良心」 ラッシャー木村

永遠不滅の 「金網の鬼」 に合掌。

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