風蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去って復た還らず

PA屋で宅録ヲタクなオイラのブログが、連日、プロレスネタで埋め尽くされている。
いい加減にしろと言われそうだが、まだまだオイラ的には 三沢光晴の凄さの1%も語れていない。

だが、あまりに引っ張りすぎるのも未練たらしいので、
本日の記事をもっていったん中締め (?) とさせていただこう。

今回の三沢光晴の悲劇に接し、多くの方が哀悼の意を表されているが、
オイラは、ただ昔を懐かしむだけでは三沢光晴に対する供養にはならないと思っている。

オイラは三沢の戦いを見ることによって、自分の人間形成に大きな影響を与えられたと自覚しているので、
三沢が命を賭けてまで体現し続けた 「自分に負けるな!」 の精神を、
一人でも多くの人たちに伝えていかなければならない義務があると、勝手に思い込んでいる。

ハッキリ言ってこれはもう宗教だ。

それがどうした。 まったくカンケーねえ。

世の人々がみんな、三沢のように義理人情に厚い仲間思いの人たちで溢れていたら、
くだらないクレーマーやら、モンスターなんとかやら、腐敗した政治家など出る幕はない。

だから、くどいくらいに語らせてもらう。
三沢光晴がどれほどの厳しさを自らに課し、それを乗り越えてきたかを。
あの 「生き方」 を体感したにもかかわらず、それを自分の人生にフィードバックできなければ、
テメーの目は節穴だったとしか言いようがない。

今、自分は何かに怯えていないか?
今、自分は目の前にそそり立つ壁に背を向けていないか?
今、自分には手を差し伸べなければならない仲間がいるのに見て見ぬふりをしていないか?
今、自分には命を賭けてまで没頭できる「何か」があるか?

この自問自答に自分から向き合おうとしなければ、三沢光晴の生き様を 「無」 にしてしまうことになる。

オイラは考える。 自分に問う。 もう一度挑戦する。



最後に、オイラが中学~高校時代に夢中で読んでいた 「男組」 のセリフを引用させていただく。

主人公・ 流全次郎 が、たった一人で最後の戦いに旅立つとき、
残された仲間たちは流全次郎の 「死ぬ覚悟」 を汲み取り、
生還した場合の待ち合わせ場所に向かわず、新たな戦いに向けて旅立っていく。

さあいこう!
日本中の若者に語るのだ!
流全次郎の物語を・・・・
流全次郎がいかに生きたか・・・
流全次郎がいかに戦ったかを・・・
戦うことを忘れた若者たちに
怒ることを忘れた若者たちに
怠惰と無気力の中に流されている若者たちに
流全次郎の熱い血潮を伝えるのだ
今こそ流全次郎のあとをついで立ち上がるときだと告げるのだ!