三沢光晴が死ぬまで戦った相手とは

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三沢光晴 と言うレスラーは、オイラをはじめとする多くのプロレスファンの 「プロレスの見方」 を変えた。
すなわち、それまでのプロレスの試合は、当然ながら対戦相手のレスラーが だった。

猪木とシン、馬場とブッチャーに代表されるように、
宿命のライバル、因縁の仇敵との試合こそがプロレスの醍醐味だったと言える。

しかし、三沢が台頭してきた頃から、そういった因縁めいたストーリーラインはすっかりと影を潜めていく。
三沢と、三沢が死闘を繰り広げたライバルたちに憎しみめいたものがほとんど感じられないのだ。

にもかかわらず、三沢と彼らの試合はそれまで見たことがないほど激しい戦いを繰り広げてきた。
一体、三沢は、彼らライバルたちは 何と 戦ってきたのだろうか?

アントニオ猪木 は、常に自分の前を走り続けたジャイアント馬場にジェラシーの炎を燃やし、
自分を苦しめ続けた 世間 を見返すために怨念とも言える憎悪を糧に戦い続けてきた。

オイラはそんな猪木の姿を見ては、トップを極める人間のパワーの源は、夢や希望などという奇麗事ではなく、
死んでも消えない憎悪 、すなわち 究極のハングリー精神 なのだ、と信じていた。

しかし、オイラの胸を打つ死闘の数々を繰り広げた三沢の戦いからは、
前述のとおり、そんな憎悪のようなものは感じられない。
いったいそこまで三沢を戦いに駆り立てた原動力はなんだったのか?

三沢が戦ってきた本当の敵・・・それは三沢自身の心。
自分自身の 限界 を超えることができなかった幼少時代。
幼い頃、自分と母親を捨てた父親に対する憎しみこそあったものの、
他人に対する憎しみではなく、自分の壁を超えられない自分自身に対して挑戦し続けてきたとしか思えない。

ビッグマネーを掴んでやろうと言った野心もなく、自分が団体のトップに立とうと言う欲望もなく、
むしろ人の上に立つことを面倒くさがる、一匹狼的な匂いが強かった性格の反面、
後輩たちからの希望を無下に断ることができず、仕方なく団体社長の座に着くことになったが、
恐らく就任してから現在に至るまで、一刻も早く社長の座から降りたいと思っていたに違いない。

そんな性格だから、部下に無理な仕事を押し付けることができず、
結局、自分から進んで貧乏クジを引くような、やさしすぎる上司であったと思う。

もし戦場であったら、三沢は絶対に部下に「死んで来い」とは言えない、ダメダメ指揮官であったはず。
割りに合わない仕事を他人に回すことができず、自分がすべて損な役回りを背負い込んでしまう、破滅型の男。

それが、オイラが勝手に思い描いている 三沢光晴 という男の人間像だ。


三沢の名勝負は数あれど、
オイラ的なターニングポイントとして強烈に脳裏に焼きついている試合の一つがこれ。

平成2年5月に虎の仮面を脱ぎ捨ててから、1回はまぐれでジャンボ鶴田に勝利したものの、
当時のガイジン4強 (ハンセン、ゴディ、ウィリアムス、スパイビー) には歯が立たず、
プロレスファンのフラストレーションが頂点に達していた平成3年6月、
ついに三沢はそのガイジン4強の一角を崩すことに成功する。

その試合がこれ。 三沢と 人間魚雷 の異名を持つ テリー・ゴディ のシングル初対決。

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三沢の死闘ぶりも凄いが、実況の福澤アナの魂の叫びも心に響いたことが思い出深い。

「三沢が・・・超えたー・・・涙で三沢の姿がぼやけてしまう・・・」

オイラの記憶が正しければ、この試合こそがエルボーバットをフィニッシュに使った最初の試合のはず。
超ヘビー級のガイジンレスラーやジャンボ鶴田を相手に、体力的に劣る三沢が選んだフィニッシュホールドは、
単純極まりないヒジによる打撃攻撃、そして相手を尻餅つかせて身動きできない状態で極める顔面締め。
体力差を補うと言う点において、実に理にかなった、説得力のあるムーブであったことも特筆される。


うーん、ユーチューブで過去の試合を閲覧していると、
今さらながら三沢が引っ張ってきた全日四天王の究極の戦いの数々に絶句させられてしまう。

三沢光晴の思い出はまだまだ書ききれない。