カール・ゴッチ(その1)

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7月28日、プロレスの神様 と称され、日本のプロレス界に多大なる影響を与えた、
往年の名レスラー、カール・ゴッチ 氏が亡くなられた。
死因は不明とのことだが、享年82歳と言うこともあり、大往生と言っていいのではないか。

「神様」 と言うニックネームは、もちろん日本のプロレス関係マスコミが付けたアダ名で、
全世界から 「God of Pro-Westling」 と呼ばれていたワケではない。
つーか、世界的にはプロレスヲタク以外にはまったく無名の 「元・プロレスラー」 に過ぎないと思われ。

そんなゴッチ氏が日本のプロレス界で 「神様」 と崇められてきた理由はただひとつ。
アントニオ猪木 が新団体(新日本プロレス)をPRするための戦略広告に利用したからに他ならない。
よーするに、当時(昭和48年頃)、まったく外人招聘のルートを持っていなかった猪木が、
自分の意思でコンタクトを取れる唯一の外人レスラーであったのがゴッチ氏であったことから、
そのゴッチ氏を外人側の絶対エースに仕立て上げる必要があったことは想像に難くない。

しかし、エースに仕立て上げるにしてもリング上の実績(タイトル獲得歴等)は皆無に等しく、試合運びも下手。
相手選手を光らせるような融通も利かなければ、手を抜くこともしない。

こんな偏屈モノをガイジン・エースとしてPRするにはどうしたらいいか?
そこで生まれた概念こそが、「ストロング・スタイル」 であり、プロレスの神様 だった。
・・・と言うことではなかろうか? とオイラは思ってる。


その根拠としては、2000年頃から徐々に日本のプロレスマスコミがカミングアウト(?)し始めた、
「本当のカール・ゴッチ 像に関する逸話記事に由来する。
(逆を言えば、90年代頃までは カール・ゴッチ幻想」 を頑なに守り通していたとも言えるのか?)
その内容は概して似通ったものであり、大まかには次のような内容であったと思われる。

・ゴッチ自身は自分のことを 「神様」 だとは思っていない。
・現役時代のゴッチにはショーマンシップもあった。
・決して世界最強クラスのレスラーではなかった。
・ハッキリ言って試合運びは下手だった。
・スパーリングではたしかに強かったが最強ではなかった。
・しかし、練習の厳しさ、激しさに関しては間違いなく世界最高クラスだった。


さらに、ゴッチに対するレスラーの評価は真っ二つに分かれている。

肯定派は、「強さを追い求める姿勢」 を絶賛し、
否定派は、「プロレスが下手」 であることを糾弾する。

「プロレス」 とは間違いなく 「収益を目的とした興行イベント」 である。
お客さんが支払う入場料やテレビ放送による放送権料によって収益を上げ、
その利益を基に社員(レスラー、事務員)の給与を支払っている。

それゆえ、レスラーは次回もお客さんに来場いただくための試合を繰り広げ、
事務員は一人でも多くのお客さんを呼ぶための営業戦術を展開する。

では、「次回もお客さんに来場いただくための試合」 とはどういう試合を指すのか?

70年代前半は、とにかく強くて悪いガイジンレスラーを日本人レスラーが苦戦しながらも勝利すれば、それでよかった。
しかし70年代後半はそれもマンネリ化となり、新しい試合スタイルが渇望された。

そこにアントニオ猪木が提供したのが 「ストロング・スタイル」 と言うもの。
いかにも 「やらせ」 っぽい試合にしか見えなかったプロレスに、
本気と見まごうばかりの激しさ、気迫を持ち込んだスタイル、と言って差し支えないと思うが、
この 「ストロング・スタイル」 は、その後、絶対的な支持と人気を得るに至る。

このとき、猪木は 「ストロング・スタイル」「強さ」 の象徴としての カール・ゴッチ像」 を確立したと言われている。

だが、当のゴッチ自身は、現役時代こそ職業であるゆえのショーマンシップを容認していたが、
現役を退いてからは、ひたすら 「強さ」 を追い求める姿勢を強めていく。

まあ、本人にしてみれば
「おまえはプロレスが下手だ。ただ強さを見せびらかしたいのならアマチュアでやれ。」
みたいなことを言われてきた(と思う)だけに、
「じゃあ現役引退してアマチュアになったのだから、これからは好きにさせてもらおう。」
と考えるのは至極当然のことだと思う。

そしてゴッチは、コーチを志願して訪れる若手レスラーたちに 「勝つためだけの練習」 を課す。
そこには、相手選手を光らせて「いい試合を提供する」ための教えなど皆無であったと思われる。
だが、プロレス経営者から言わせれば 「ただ強いだけのレスラー」 など何の価値もないに等しい。

お客さんを熱狂させ、感情移入させるような試合をしてこそ 「プロ」 のレスラーであり、
お客さんを熱狂させることなく、ただ自分の強さだけを見せつけるようなレスラーは不要なのだ。

ゴッチは、新日本プロレス黎明期こそ 「強さの象徴」 の宣伝材料として重用されたが、
新日本が経営的に安定期に入ってからは、経営首脳陣に疎んじられる存在になっていく。
ゴッチには新日本プロレスから 「顧問料」 が支払われていたが、
ハッキリ言って80年代以降は顧問料に見合うだけの仕事をしない厄介者にしか過ぎなかった。

その後、新日本黎明期の戦略(強さをPRする)をそのままシフトする形で UWF が旗揚げし、
ゴッチが UWF の顧問に就任したことをきっかけに、新日本は顧問料の支払を停止する。
当然、その後の顧問料はUWFが肩代わりすることになるが、
この支出の負担も、遠からずUWFの崩壊に繋がっていったのではなかろうか?

晩年、ゴッチ氏がどうやって生活費を得ていたのかは定かでないが(無我ワールドプロレスからの顧問料か?)
非常に質素な余生を送っていたように見受けられる。


たしかに日本のプロレス界に多大なる影響を与えたレスラーであるが、
決して自らの意思でその技術・知識を伝授したのではなく、
「来るものは拒まず」 の姿勢で教えを請う者には広く門戸を開放し、
「去るものは追わず」 の心で弟子たちを遠くで見つめ、
自身は何歳になろうともひたすら 「どうしたら強くなれるか?」 を考え続け、
自身に対する鍛錬(トレーニング)を続けていた、
「神様」 と言うよりは 「修行僧」 のような人物であったと考える。


(To Be Continued)




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